アラブ文化復興運動
中東の近代史においてアラブ文化復興運動は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて進行したアラブ世界の文化的・知的覚醒を指す概念である。アラビア語で「ナフダ(ナフダー)」と呼ばれ、伝統的なイスラーム文化を土台としつつも、西欧の学問や技術を積極的に受け入れ、言語・文学・教育・ジャーナリズムなどの分野で大規模な刷新が進められた。この運動は、帝国支配のもとに置かれていたアラブ社会が自らの歴史と文化を再評価し、近代的な民族意識や政治運動へとつながる基盤を形成した点で重要である。
歴史的背景
アラブ文化復興運動の背景には、18〜19世紀にかけてのオスマン帝国の衰退と、ヨーロッパ列強による軍事的・経済的進出があった。ナポレオンのエジプト遠征を契機に、アラブ知識人は西欧の軍事力や科学技術の優位を認識し、同時に自らの社会改革の必要性を痛感することになった。続くタンジマート改革や、黒海・バルカン地域をめぐる国際政治の中で締結されたカルロヴィッツ条約やキュチュク=カイナルジ条約などは、帝国の変容と列強の介入を象徴し、アラブ知識人に危機意識と変革の意欲を与えた。
思想的特徴と目的
アラブ文化復興運動は、単なる西欧化ではなく、自文化の再発見と再構成を目指した点に特徴がある。古典アラビア語の再評価や文法・語彙の整理、新しいジャンルの文学創作、翻訳事業を通じて、アラビア語を近代社会にふさわしい表現媒体へと作りかえることが重要な課題となった。また、宗教と理性の調和をめざし、信仰を保ちながら社会改革と科学的思考を両立させようとする試みもみられた。
- 古典アラブ文学の編集・出版と、新しい小説・詩の創作による文学の近代化
- 新聞や雑誌の発行による公共圏の形成と世論の喚起
- 近代教育制度の整備と女子教育の拡大
- 法制度や社会慣行の改革を通じた共同体の再編
主要な中心地と指導者
アラブ文化復興運動の中心地は、エジプトのカイロやアレクサンドリア、シリア・レバノン地域のベイルートやダマスクスなどであった。これらの都市には印刷所や学校、宣教団体、商人ネットワークが集まり、知識人の活動拠点となった。リファー・タフターウィー、ブトロス・ブスターニー、ジャマールッディーン・アル=アフガーニー、ムハンマド・アブドゥフらは、翻訳事業や学校設立、新聞発行などを通じて、近代思想をアラブ社会に紹介しつつ、自らの伝統と調和させる道を探った。こうして形成された新しい知識人層は、後のナショナリストや改革派宗教指導者の母体となった。
イスラーム改革運動との関係
アラブ文化復興運動は、宗教思想の面でイスラーム改革運動と深く結びついていた。アフガーニーやアブドゥフに代表される近代主義的な改革派は、啓典と理性は矛盾しないと説き、初期イスラーム共同体の精神に立ち返りながら、近代国家や教育制度に適応した解釈を提示した。他方で、アラビア半島で台頭したワッハーブ派とサウード家の提携は、純粋主義的な宗教改革として知られ、文化的・知的刷新を目指すナフダとは方向性を異にしつつも、イスラーム世界の再生という共通の問題意識を共有していた。
アラブ民族主義への影響
アラブ文化復興運動によって鍛えられたアラビア語と新しい歴史叙述、そして新聞・雑誌による情報流通は、アラブ人としての共通性を意識させる重要な契機となった。アラブの歴史や英雄を再評価する動きは、やがてアラブ民族のめざめと呼ばれる政治的・民族的覚醒へと発展し、第一次世界大戦期の反乱や、戦後の委任統治体制下での独立運動に連なっていく。このように、近代のアラブ民族主義は、帝国支配への反発だけでなく、ナフダによって形成された新しい文化的アイデンティティと不可分の関係にあったのである。