サウード家|サウジ王権を担う王家

サウード家

サウード家は、現在のサウジアラビア王国を統治する王家であり、ナジュドと呼ばれるアラビア半島中央部の部族首長家に起源をもつ。18世紀半ばに宗教改革運動であるワッハーブ派と結びついて最初のサウジ国家を樹立し、その後も19世紀から20世紀にかけて興亡を繰り返しながら、1932年のサウジアラビア王国成立へと至った。一族は王位だけでなく政府・軍・経済の中枢を占め、現代の中東政治と石油外交を理解するうえで不可欠な存在である。

サウード家の起源とナジュド地方

サウード家の起源は、アラビア半島中央部ナジュド地方のディルイーヤという小さなオアシス都市にさかのぼる。17世紀から18世紀にかけて、一族は周辺の部族を保護しつつ農耕と交易を営む地方首長として勢力を蓄えた。砂漠に囲まれたナジュドは、沿岸部の紅海世界やペルシア湾世界に比べて政治的影響力は小さかったが、部族社会と敬虔なイスラーム信仰が色濃く残る地域であり、後の宗教改革運動の重要な舞台となった。

イブン=アブドゥル=ワッハーブとの同盟

18世紀半ば、宗教改革者イブン=アブドゥル=ワッハーブがナジュド地方で活動を始める。彼は初期イスラームへの回帰と偶像崇拝の排除を説き、のちにワッハーブ派と呼ばれる教説を打ち立てた。この改革者と、ディルイーヤの首長ムハンマド・ビン・サウードとの同盟がサウード家躍進の出発点である。宗教と政権の結合により、サウード政権は「純正な信仰を守る国家」として周辺部族を服従させる正当性を獲得した。

第1次サウジアラビア国家の成立と拡大

ムハンマド・ビン・サウードとワッハーブ派の同盟のもとで、ディルイーヤを中心とする勢力は18世紀後半から急速に拡大した。ナジュド一帯の部族は次々と服属し、やがてアラビア半島東部・西部へも進出して、メッカやメディナなどイスラームの聖地にまで支配を広げた。この勢力は後に「第1次サウジアラビア国家」と呼ばれ、形式上はオスマン帝国の宗主権下にありながら、実質的には独自の宗教国家として半島内部を支配するようになった。

オスマン帝国との対立と第1次サウジ国家の滅亡

聖地ヒジャーズの支配権を掌握したことは、スルタンを「信徒の長」とするオスマン帝国にとって重大な挑戦であった。帝国はエジプト総督ムハンマド・アリーに討伐を命じ、その軍隊は19世紀初頭にアラビア半島へ遠征する。激しい戦闘の末、1818年にディルイーヤは陥落し、首長アブドゥッラーは捕らえられて処刑された。こうして第1次サウジ国家は滅亡し、サウジ勢力は一時的に壊滅したが、この対立自体はオスマン帝国支配の動揺とオスマン帝国領の縮小という大きな流れの中で理解されるべきである。

第2次サウジアラビア国家と内部抗争

しかしサウード家の勢力は完全には途絶えず、19世紀前半にはトゥルキー・ビン・アブドゥッラーがリヤドを拠点として第2次サウジアラビア国家を再興した。第2次国家はナジュドとその周辺を支配したが、一族内部の王位争いと、北方のシャマル族を率いるラーシド家との対立によって弱体化していく。19世紀末にはリヤドも失陥し、サウードの一族はクウェートなど周辺地域へ亡命を余儀なくされた。

イブン=サウードとサウジアラビア王国の成立

20世紀初頭、亡命中の一族から現れたのがアブドゥルアズィーズ・イブン・サウードである。彼は1902年に少数の一団とともにリヤドを奪回し、それを足がかりとしてナジュド全域を再統一した。その後、ヒジャーズ王国を打倒してメッカとメディナを掌握し、1932年に「サウジアラビア王国」の成立を宣言する。こうしてサウード家はアラビア半島の大部分を統一した王家として、近代国家の支配者となった。この過程は、列強支配や民族運動が高まるなかでのアラブ民族のめざめの一側面でもあった。

石油開発と王家の権力基盤

サウジアラビア王国の運命を大きく変えたのが、1938年以降の大規模な石油発見である。アラビア湾岸で産出される石油は、第二次世界大戦後の世界経済に欠かせない資源となり、王家は石油収入を背景に強大な財政力を手にした。石油産業を担う国営企業や合弁会社の多くは王家と密接に結びつき、道路・学校・病院などのインフラ建設や社会福祉政策が進められた。1970年代の石油危機期には、サウジアラビアは原油価格と生産量を左右する中心的産油国として国際政治に大きな影響力を持つようになる。

宗教的正統性と「二大聖モスクの守護者」

サウード家は建国以来、ワッハーブ派と連携しながらイスラームの厳格な解釈を国家の基盤としてきた。サウジアラビア国王は「二大聖モスクの守護者」と称され、メッカとメディナの管理者として宗教的威信を主張する。王家は宗教機関に特権を与える一方、宗教的正統性を自らの統治の根拠として利用してきた。こうした体制は、中東におけるイスラーム運動や中東戦争後の政治情勢とも結びつき、地域の保守的な秩序を支える柱のひとつとなっている。

王家の構造と王位継承

サウード家は非常に大きな一族であり、創建者アブドゥルアズィーズの子孫だけでも数千人に及ぶとされる。歴代国王は長らく兄弟間で王位を継承し、その下で多くの王子たちが軍や各省庁、地方行政府の長として配置された。とくに有力な王子グループは政権の中枢を形成し、石油政策・安全保障・外交を左右してきた。このように一族内の力関係が政治構造に直結している点が、近代的な立憲君主制とは異なる特徴である。

現代の改革と課題

21世紀に入ると、人口増加や失業問題、情報化社会の進展に対応するため、経済多角化や社会改革の必要性が高まった。近年の指導者たちは「石油依存からの脱却」や行政の近代化を掲げ、観光や製造業への投資を進めているが、同時に王家による権力集中と政治的自由の制約も指摘されている。宗教的保守性を維持しながら社会を近代化するという課題は、サウード家が今後も直面し続ける構造的問題であり、中東世界の変動とともにその動向が注目されている。