ワッハーブ派
ワッハーブ派は、18世紀のアラビア半島中部ナジュド地方で成立したスンナ派イスラム改革運動であり、厳格な唯一神信仰と初期イスラムへの回帰を掲げた宗教潮流である。創始者ムハンマド=イブン=アブドゥルワッハーブの教えに基づき、偶像崇拝や聖者崇敬、伝統儀礼を「逸脱」とみなして排除しようとした点に特徴がある。この運動はサウード家との同盟によって政治勢力化し、のちにサウジアラビア建国の思想的基盤となり、現代のイスラム教世界の宗教と政治を理解するうえで重要な位置を占めている。
成立の背景
ワッハーブ派が生まれた18世紀のアラビア半島では、部族社会が分立し、宗教的権威が弱体化していたとされる。形式的な礼拝は守られていたものの、聖者の墓に願をかける習慣や、占い・護符といった慣行が広まり、純粋な一神教からの退廃とみなす批判が生じた。また、アラビアは名目上オスマン帝国の支配下にあったが、中央政府の統制は十分でなく、地方の宗教指導者や部族長がそれぞれの解釈で信仰生活を導いていた。このような環境のなかで、初期のイスラーム共同体に立ち返ろうとする改革思想が台頭し、その代表がワッハーブ派であった。
創始者ムハンマド=イブン=アブドゥルワッハーブ
ムハンマド=イブン=アブドゥルワッハーブは、ナジュド地方の宗教家の家系に生まれ、若いころから各地でイスラム法学と伝承の学問を学んだとされる。彼はクルアーンとハディースに厳格に依拠し、後世に付け加えられた慣行や解釈を徹底して批判した。その主張の中核は、神以外のものに祈願したり頼ったりする行為は唯一神信仰(タウヒード)を損なう「多神崇拝」に等しいという点であり、この徹底性がワッハーブ派の教義全体を規定した。彼の説教は地元で激しい反発を招いたが、のちにサウード家の支配者と結びつくことで政治的支援を獲得した。
サウード家との同盟と第一次サウード王国
ワッハーブ派の拡大に決定的な役割を果たしたのが、ナジュドの有力部族であるサウード家との同盟である。宗教的権威を求めるサウード家と、教義を実現する武力と保護を求めるイブン=アブドゥルワッハーブの利害が一致し、宗教と政治の協力関係が成立した。この同盟によって第一次サウード王国が形成され、アラビア半島各地に遠征が行われた。イスラーム世界の聖地であるメッカやメディナまで勢力を伸ばし、聖者墓の破壊や税制改革を行ったことは、周辺勢力に大きな衝撃を与えた。
教義の特徴と実践
ワッハーブ派の教義は、徹底した唯一神信仰、クルアーンと真正ハディースへの直接的な回帰、そして「ビドア(宗教的革新)」の否定に要約される。聖者の墓や樹木・泉などに特別な力を認める行為は否定され、礼拝・喜捨・断食・巡礼といった基本義務を厳格に守ることが重視された。また、飲酒や賭博の禁止、服装や日常生活における規律も強調され、社会全体に宗教規範を浸透させることを目指した点に特徴がある。これらはスンナ派の伝統に立脚しているが、その適用は非常に厳格であり、しばしば他のスンナ派やシーア派ムスリムとのあいだに緊張を生み出した。
オスマン帝国との対立と制圧
ワッハーブ派とサウード家の勢力拡大は、メッカ・メディナを保護する立場にあったオスマン帝国にとって看過しがたい挑戦であった。帝国はエジプト総督ムハンマド=アリーを動員して軍事遠征を行い、19世紀初頭に第一次サウード王国はほぼ壊滅させられた。しかし、ワッハーブ派の教義やネットワーク自体は完全には消えず、地方社会に根を下ろしたまま存続し、のちにサウード家の再興とともに再び政治的影響力を取り戻した。
サウジアラビア王国とワッハーブ派
20世紀になってサウード家がアラビア半島を再統一し、サウジアラビア王国を建国すると、国家の公的宗教としてワッハーブ派の教義が位置づけられた。宗教指導者階層と王家は協調関係を維持し、教育制度や司法制度においてワッハーブ的解釈が基準となった。さらに、石油収入に支えられた莫大な財力によってモスクや学校が各地に建設され、世界のイスラム教地域に宗教活動や奨学金が提供されたことで、ワッハーブ派は国境をこえて影響を広げることになった。
近代イスラーム思想への影響
ワッハーブ派は、19~20世紀のイスラーム改革運動やサラフィー主義と呼ばれる潮流にも強い影響を与えた。西欧列強の進出と近代化の圧力のなかで、多くの知識人が「初期イスラームへの回帰」による再生を唱えたが、その際にワッハーブ派の徹底した一神教理解や慣行批判が参照されることがあった。ただし、近代の改革思想は、啓蒙思想や近代科学を受け入れつつイスラムを再解釈しようとした点で、必ずしもワッハーブ派と同一ではなく、両者の距離や差異を慎重に見きわめる必要がある。
批判と議論
ワッハーブ派については、他のイスラーム学派から「過度に排他的である」「伝統的学問を軽視する」といった批判も根強い。また、近年の過激派運動のいくつかが似た用語や概念を用いたことで、ワッハーブ派そのものが過激主義と同一視される場合もある。しかし、サウジアラビアの宗教機関は公式にはテロや暴力行為を否定しており、現実の運動と思想の歴史的文脈を区別してとらえる必要がある。いずれにせよ、イスラーム世界の宗教・政治・社会を理解するうえで、ワッハーブ派は18世紀以降のアラビアとその周辺地域を貫く重要な要素であり、今後も研究と議論の対象であり続ける。