イスラームのインド侵入
中世イスラーム世界と南アジアの交錯は、交易・征服・布教が絡み合う長期過程であり、一般にイスラームのインド侵入と総称される。8世紀のシンド征服に始まり、11〜12世紀のガズナ朝・ゴール朝の遠征を経て、北インドにデリー・スルタン朝が成立した。この動きは、陸路の軍事圧力と海路の商人・スーフィーの拡散が相互補完することで進展し、宗教・社会・経済に構造的な変容をもたらした。とりわけ税制や軍制の導入、都市と商業の活性化、ヒンドゥー教・仏教・イスラームの接触と競合は、インド史の展開に不可逆な影響を残した。
初期接触:シンド征服と海上交易
最初期の軍事的進出は8世紀初頭、ウマイヤ朝の将軍ムハンマド・イブン・カースィムによるシンド征服に求められる。一方でアラビア海の商人ネットワークは、グジャラートやマラバール海岸にモスクや商館を築き、香辛料・織物・宝石の交易を拡大した。軍事支配はいまだ断片的であったが、港市の共同体はムスリム居住を恒常化させ、後世の政治的拡張の足場となった。
ガズナ朝の遠征:マフムードと北インド
11世紀、ガズナ朝のスルタン、マフムードはパンジャーブ方面へ度重なる遠征を実施し、富裕な寺院都市を攻略して戦利品と権威を確保した。これらの遠征は、恒常的占領というよりは打撃と略奪に近かったが、北西からの圧力を常態化し、インド北部の政治地図にイスラーム勢力の恒常的存在を刻印した。
ゴール朝からデリー・スルタン朝へ
12世紀後半、ゴール朝はインド内陸への進出を本格化させ、拠点都市デリーを掌握した。これを継いで13世紀初頭、トルコ系軍人層を基盤とするデリー・スルタン朝が成立し、ムルタンからベンガルに至る広域支配が志向された。以後、奴隷王朝・ハルジー朝・トゥグルク朝・サイイド朝・ローディー朝が相次ぎ、制度と領域支配が段階的に整備された。
統治と制度:軍事・租税・土地
スルタン朝は騎兵・弓騎兵を中核とする機動戦を得意とし、地方には軍人・官人に給与地を与える制度(一般に「イクター」に相当する枠組み)を通じて徴税と治安を委ねた。都市では貨幣流通が促進され、商税・関税が財政を支えた。農村支配は在地勢力との交渉を通じて進み、従前の慣行と新制度が併存する複合的秩序が形成された。
宗教と社会:ジズヤ、寺院、スーフィー
被支配下の非ムスリムはジズヤの納付を求められる一方、共同体の法慣習と信仰は多くの場合で実務的に容認された。寺院の破壊・寄進の双方の事例が存在し、地域・政権・時期により対応は多様であった。各地に遍歴したスーフィー教団は聖者廟を中心に信頼を獲得し、改宗の緩やかな進行と宗教間の文化交流を媒介した。
モンゴル圧力と防衛、都市の発展
13〜14世紀、北西からのモンゴル勢力はしばしば侵入を試み、スルタン朝は辺境の防備と内政改革を余儀なくされた。防衛体制の整備は要塞都市の発達を促し、デリーやラホールなどでは官庁区・市場・宗教施設が集積して都市文化が成熟した。
地域差とインド化の進行
イスラーム的支配は北インドで先行し、デカン高原や東部では段階的に浸透した。地方政権の自立や反乱も頻発し、イスラーム政権自体が在地社会の文脈に適応して「インド化」していった。宮廷文化や言語、建築はペルシア語系要素とインド要素の折衷を深め、尖頭アーチやドーム、赤砂岩の意匠が象徴的であった。
海の回廊:商人ネットワークの役割
アラビア海・インド洋の回廊では、ムスリム商人がグジャラートやマラバールを基点に商館・モスクを拡げ、港市の自治・互酬関係を通じて政治的影響を高めた。こうした海上ネットワークは、征服政権とは独立しつつも、物資・人・観念の流通を支え、イスラーム文化の定着に不可欠であった。
ムガル前夜と継承
15世紀末、スルタン朝は内紛と地方勢力の台頭で弱体化し、16世紀初頭に中央アジア系のバーブルが北インドへ進出して新たな帝国権力の基盤を築いた。これは前段階で形成された軍事・財政・都市・宗教の経験を継承し、後の統一王朝の成立へと連なる。
用語補足
- イクター:軍人・官人への給与地的権利付与により徴税と軍役を担わせる制度的枠組み。
- ジズヤ:啓典の民など非ムスリム男子に課された人頭税。
- スーフィー:神秘主義的修行を重視するイスラームの潮流。聖者崇敬と教団組織が地域社会に浸透。
主要出来事の簡略年表
- 711頃:ウマイヤ朝によるシンド征服
- 11世紀:ガズナ朝マフムードの度重なる北インド遠征
- 12世紀末:ゴール朝の進出、デリー掌握
- 1206以降:デリー・スルタン朝の諸王朝が継起
- 16世紀初頭:バーブルの進出、後世の大規模統一へ継承