両班|朝鮮王朝の士大夫系エリート層

両班

両班は、李氏朝鮮時代に成立・制度化された支配身分で、文官の「文班」と武官の「武班」という二つの官僚序列に根拠をもつ支配エリートである。起源は高位官人層の再編にあり、高麗後期の門閥武臣や名族が新王朝の官僚制と学統に適応して形成された。儒教倫理と科挙的登用、家門の系譜管理を通じて政治・社会・文化を主導し、地方では郷里の秩序維持にも関与した。両班は朝鮮の社会構造を長く規定したが、19世紀の社会変動と近代改革の進展によって制度的特権は解体へ向かった。

語源と形成

「両班」とは「二つの班」、すなわち文・武の官序を指す語である。王権のもとで官僚身分が厳密に序列化され、宮廷・中央官庁の秩序が整うにつれて、文武いずれかの班に属して官途に上る名望家が社会の上層を占めた。両班の家門は、祖先の仕官実績や学問系譜を重んじ、族譜の整備や婚姻ネットワークを通じて身分的境界を維持した。

登用制度と身分の再生産

科挙に相当する試験(科挙制)が文武官の主要な登用ルートであり、経書注釈の理解や詩文作成などの能力が評価された。とはいえ、受験準備には学田・書籍・師資などの資源が必要で、両班は家学・書院・交際圏を活用して後継者を育成した。試験合格による官途は理念上は開放的であったが、実際には家門の蓄積が大きく、名望と学統が次世代の地位を支えた。

特権・経済基盤・生活様式

両班は官職任用の優位、一定の税役上の恩典、礼服や葬祭・住居規範における象徴的威信をもった。経済基盤は田地経営・小作収取・手工・商業への間接関与など多様で、地方の名族は郷約・社倉などの共同体制度を通じて地域の秩序形成に寄与した。都市居住の官人層も、科挙準備と文会の開催、書院・私塾の後援を通じて文化的権威を保持した。

儒教国家と学統

朱子学に支えられた政治倫理は、君臣の分・家族秩序・礼制を枠組みとして国家運営に適用された。両班は経書学習・講会・諫争を通じて政策を論じ、士林の台頭後は清議を重んじる風潮が強まった。党争はしばしば激化し、名分論や礼訟が政治を揺さぶったが、その背後には学統・地域・家門の力学があった。対外的にはの変転の中で正統意識と現実外交の調整が求められ、思想的にも礼学・考証学・実務志向が交錯した。

地方社会と郷里支配

在地の両班は郷約・里役の運用、社学・書院の維持、祭祀・救恤の主催などを担い、名望にもとづく統治を展開した。宗族組織の強化は村落社会の秩序を安定させた一方、戸籍上の身分境界や婚姻規範を硬直化させ、常民や賤民との社会的距離を固定化した。

18–19世紀の動揺と近代改革

商品経済の浸透、租税・軍役の再編、各地の文武人材の拡大は、従来の家門中心の人材循環に変化を迫った。郷村でも新興の富裕層や中人層が台頭し、書院の整理や財政再建をめぐる対立が生じた。19世紀末には身分制度の法的解体が進み、両班の制度的特権は消滅した。解体後も多くの旧家は教育資本・土地・人脈を基盤に近代官僚・専門職・地主層へと再編された。

文化・教養と社会的規範

両班の教養は経書注釈・詩文・書画・金石学・礼制運用などに及び、文会・雅集は文化的威信を示した。婚礼・葬礼・祭祀の厳格化、服色や家屋構造の規範化は身分表示の機能を果たし、女性の内外規範や子弟教育も家門の威信維持に組み込まれた。こうした規範は都市から地方へと波及し、社会全体の礼礼秩序を支えた。

歴史学上の位置づけ

両班は、試験による公的資格と家門による身分再生産が重なり合う層として理解される。国家官僚制の担い手であると同時に、地方社会の名望家として日常の統治と文化を媒介した点に特質がある。近世の長期持続を通じて、政治・経済・文化の諸領域に横断的な影響を与え、朝鮮社会の制度史・思想史・生活史を読み解く鍵となる。

用語と表記

「両班」は漢字表記で「兩班」とも書き、文・武の二班に由来する。日本語史料では「ヤンバン」と片仮名転写されることがあるが、本稿では制度史上の用語として両班を用いる。