朝鮮|古代から近代の王朝・社会・文化

朝鮮

朝鮮は東アジアに位置する半島とその住民・政治体を指す歴史用語である。古代の古朝鮮に始まり、三国時代(高句麗・百済・新羅)と渤海、中世の高麗、近世の李氏朝鮮を経て、近代の帝国主義と植民地支配、20世紀の分断と国家形成へと連なる。名称は「朝に鮮やか」の意に通じ、漢籍では「朝鮮」と記される。ヨーロッパ語の“Korea”は高麗(Goryeo)に由来し、李氏朝鮮期の自称「朝鮮」と区別されることがある。今日の政治用語としては南の大韓民国と北の朝鮮民主主義人民共和国があり、地理・文化史の文脈では歴史的総称として朝鮮が用いられる。

地理と名称の射程

朝鮮半島は中国東北部と日本列島の間に伸びる細長い半島で、北を大陸と接し、東西を海に囲まれる。古来、山脈が南北に走り、東高西低の地形は交通・軍事・気候に影響した。名称「朝鮮」は古朝鮮以来の伝統名であり、政治体としての「李氏朝鮮(朝鮮王朝)」、文化圏としての「朝鮮文化」、言語としての「朝鮮語」など、用法に幅がある。英語圏では“Korea”が一般的で、学術上は“Joseon”“Goryeo”など王朝名を併用する。

古代の形成―古朝鮮・漢四郡・三国と渤海

伝承上の檀君に始まる古朝鮮は、遼東から大同江流域に展開したとされる。前漢は衛氏朝鮮を滅ぼし楽浪・真番・臨屯・玄菟の郡県を設置し、漢文化・技術が流入した。やがて高句麗・百済・新羅の三国と伽耶諸国が並立し、仏教受容と律令的秩序が発達した。7世紀、新羅は唐と協力して百済・高句麗を滅ぼし半島を統一するが、満洲側では渤海が興り、唐・日本・新羅と外交を展開した。こうして朝鮮世界は大陸と列島の結節点として自立性を強めた。

古代の社会と文化

稲作・鉄器の普及により首長制から王権が形成され、貢納・兵役・道路網が整った。仏寺・石窟・古墳壁画が造営され、儒家の経書注解や律令制受容が進む。三国は対外交易を通じて貨幣・漆工・陶磁などの技術を受け取り、半島発の文化も日本列島に伝播した。

中世と近世―高麗と李氏朝鮮

918年成立の高麗は、科挙と文治を基調に仏教保護政策をとり、青磁や大蔵経彫板で知られる。契丹・女真・蒙古との抗争と折衝を経て王権は変動するが、官僚制は維持された。1392年、李成桂が王朝を開き李氏朝鮮が始まる。国家イデオロギーは朱子学で、両班を中心とする身分秩序、科挙、土地・租税制度が整う。対外的には明清と冊封・朝貢関係を結び、対日では倭寇対策と交易・通信使の往来があった。16世紀末の壬辰倭乱は国土を荒廃させたが、水軍・火器・補給の再編を促し、復興期の学芸・白磁・実学の発達につながった。

訓民正音(Hangul)の制定

世宗は1443年に訓民正音を創製し、1446年に頒布した。表音文字であるため音韻と形態の対応が明瞭で、漢字文化と併存しつつ識字普及に寄与した。近代には新聞・教育での使用が広がり、20世紀に標準語整備とともに朝鮮語表記の基盤となった。

近代の転換と分断

19世紀、列強の進出と国内改革の要請が高まり、開港と甲午改革など制度刷新が進められたが、国際環境は厳しく、日清・日露戦争の帰結として保護国化を経て1910年に併合された。植民地期には産業化と都市インフラ整備が進む一方、文化抑圧と搾取への抵抗として三・一運動など独立運動が起きた。1945年の解放後、北緯38度線を境に体制が分化し、1950年に朝鮮戦争が勃発、停戦により分断が固定化した。その後、南は輸出主導の工業化と民主化、北は計画経済と主体思想体制を進め、相互の対立と断続的対話が続く。

社会・文化の特質

朝鮮社会は儒教礼制の影響が強く、宗族・家礼・学統を重んじた。仏教・道教・巫俗は地域と時代により浮沈するが、生活文化に根強く残った。陶磁器は青瓷から白磁へと展開し、金属活字や木版印刷も顕著である。食文化では発酵食品が発達し、住居・衣装・紙・絵画・音楽に独自性が見られる。言語面では朝鮮語が孤立語的性格をもち、Hangulが音韻体系を的確に表すため文学・学術の媒体となった。

東アジア秩序との関係

冊封・朝貢は外交儀礼と通商枠組みを兼ね、名分秩序と現実利益を調停する装置であった。対日関係は通交・倭寇対策・通信使・戦争と幅広く、文化交流も活発である。近代以降は国際法秩序への適応とナショナリズムの興隆が課題となり、分断体制の下でも人の往来・経済協力の試みが重ねられてきた。かくして朝鮮は、地政学・文明圏・国際政治の交差点に立つ歴史的主体として理解されるべきである。