荀子|藍より青し,性悪説,諸子百家,礼治主義

荀子 じゅんし

荀子(B.C.298~B.C.235)は戦国時代末期の儒学者。性は殉、名は況、(その他、荀卿、荀孫卿子とも呼ばれる)。趙の国に生まれた。趙で学問に務め、50歳の頃に斉に移ったと言われている。当時、斉で学問が盛んに行われた臨淄の中でも極めて優秀で老師とまで呼ばれたほどであった。襄王に学識を認められ、禝下(しょっか)の学長を三度も務めたが、妬みを買い、辞職した。その後、法治主義をとった秦を訪れ、その能率的な政治体制に大きく影響をうけた。その後、礎の長官になり、晩年は礎で執筆活動を行った。彼の弟子として韓非子や秦の始皇帝の宰相となった李斯がいる。

荀子

荀子

荀子の略年

前298? 趙で生まれる。
前256 楚の蘭陵の長官となる。
前248 斉に行き遊学し、要職に就く。
前238 韓非子や李斯が荀子の門下生となる
前235 蘭陵陵にて死去する。

性悪説

孟子の性善説とは異なり、荀子は性悪説をとく。人間の本性は極めて利己的で本質的に悪なので、後天的な努力によってそれを修正しなければならないとし、「人の性は悪にして其の善なるものは偽なり」と説く。人間は盲目的に欲望のままに行動してしまう。利己的な本能を持つから、そのまま放任しておくと、社会に暴力が蔓延してしまう。したがってその悪意を教育、つまり儒教や礼楽、文化、教養などによって改善し、道徳的人格を養わなければならない。

キリスト教やユダヤ教との比較

ユダヤ教キリスト教もまた原罪と呼ばれる、生まれながらの悪性を説いているが、荀子の場合は、人間は努力や教育によって十分に道徳的人格者になることができるとしている。人間の本性は「本始材木」(素朴な資質)であり、その本性に教育的な矯正が加わって、徳を実現することができる。

人の性は悪にして、其の善なる者は偽なり。
今、人の性は生まれながらにして利を好むあり。
是れに順(したが)う。故に争奪生じて辞譲滅ぶ。
生まれながらにして疾悪するあり。
是れに順う。故に残賊生じて忠信亡ぶ。

人間の本性すなわち生まれつきの性質は悪であって、その善というのは偽すなわち後天的な作為の矯正によるものである。さて、考えてみるに、人間の本性には生まれつき利益を追求する傾向がある。この傾向のままに行動すると、他人と争い奪いあうようになって、お互いに譲りあうことがなくなるのである。また、人には生まれつき嫉んだり憎んだりする傾向がある。この傾向のままに行動すると、傷害沙汰を起こすようになって、お互いにまことを尽くして信頼しあうことがなくなってしまう。

天人分離論

自然界(天)と人間界とは互いに独立しており、相即関係は存在しないとする立場である。古代中国においては自然(天)の動きが人間界に影響を及ぼすという思想が見られ、天命や敬などの天思想を侵攻していた。孔子孟子は、天を人間が従うべきとしていたが、孟子はこれを否定し、天は単なる自然現象そのもので尊ぶに値しない。事を動かすのは人間であり、人間本位で行動することを説いた。従って自然条件がよくなくとも政策がよければ人民は困窮しないとした。

孟子と荀子の比較

孟子と荀子の比較

孟子

礼治主義

荀子のこの性悪説の前提の中で、礼の重要性を強調する。これを礼治主義という。人間の本性は悪であるため、人間を教化し社会秩序を維持する外的規制として重要であるとした
。礼は古代の聖王によって人為的に定められた、人間の社会規範であると考え、礼によって悪に傾いてしまう人間の本性を矯正し、立派な人間とならなければならない。この意味で礼は教育や生活習慣によリ人心を教化するため、未然に悪を防ぐものである。荀子の門下生であった、法家の韓非子 (法律や刑罰を重視する法治主義) に強い影響を与えた。

法治主義

礼治主義は礼という社会規範によって統治しようというものだが、この考えは、荀子の死後、弟子たち(韓非子や李斯)によって法治主義に発展する。法は、礼よりも強制力が強く、外的な強制力により人民を支配するという考え方である。

礼なる者は治弁の極なり。
強固の本なり。
威行の道なり。功名の總なり。
王公これに由るは天下を得る所以なり。
由らざるは社稷(そしょく)を隕す所以なり。

礼というものは国家に整然たる秩序をもたらす最高規範であり、国家を強固にするための根本であり、国の威令が行なわれるための手だてであり、功績と名誉とをもたらす総もとじめなのである。王や三公などの支配が世界の支配権を獲得するかしないかは、すべてこの礼を模範として政治を行なうかどうかによって決まるのである。

荀子の学問論:藍より青し

荀子は教師の教えや知識・徳などを身につける教育によって、善い人間が形成されると主張した。彼は古代の聖人の遺した言葉を選ぶことによって確かな知識や正しい行動を身につけることができる。荀子は過去の偉大な学問や行為(礼)を学ぶことによって、人間の本性を矯正し、道徳的な人格にならなければならないとした。

君子日わく、学は以て已むべからず。青はこれを藍より取りて而も藍より青く、氷は水これを為りて而も水より冷たし。木の直きこと、縄に中たるも、たわめて以て輪と為せば其の曲は規に中たり、稿暴ありと雖も復挺びざる者は、輮これをして然らしむるなり。故に木は縄を受くれば則ち直く、金は礪に就けば即ち、君子は博く学びて日に己れを参省すれば、智は明らかにして行過ちなきなり。

「学問は中途でやめてはならない」と君子はいっている。
青色は藍草から取るが藍草よりも青く、氷は、水からできるが水よりも冷たい。
墨なわにぴったりする、まっすぐな木でも、たわめて輪にすればコンパスにぴったりの彎曲になり、日にさらして乾かしても、もはやもとにもどらないのは、たわめるという外からの力のためにそうなったのである。
だから、木が墨なわをあてられてまっすぐになり、刃ものが砥石で磨かれると鋭くなるように、君子もひろく学んで日ごとに何度も反省すれば、知識は確かになり、行動にも過ちがなくなるのである。

荀子

凡そ人の善を為さんと欲する者は、性の悪なるが為なり。夫れ薄なるは厚からんと願い、悪き(みにくき)は美しからんと願い、狭なるは広からんと願い、貧なるは富まんと願い、賤なるは貴ならんと願い、苟しくも中になき者は必ず外に求む。故に富めばすなわち財を願わず、貴なれば すなわち勢を願わず、苛くも中に有する者は必ず外に求めず。此れを持ってこれを観れば、人の善を為さんと欲する者は、性悪なるが為なり。今、人の性は固より礼儀なし。故に勉学してこれを有たんことを求むるなり。性は礼儀を知らず。故に思慮してこれを知らんことを求むるなり。然らば則ち生のみならば則ち人は礼儀なく礼儀を知らず。人、礼儀なければ則ち乱れ、礼儀を知らざれば則ち益(もと)る。然らば則ち生のみなれば則ち利乱 (はいらん)己れに在り。比れを用いてこれを観る。人の性の悪なること明らかなり。其の善なる者は偽なり。

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