日本の参戦|日英同盟とアジアでの利権拡大

日本の参戦

日本日本の参戦とは、第一次世界大戦が勃発した後、日英同盟に基づいてドイツ帝国に宣戦布告し、東アジアと太平洋地域で軍事行動を行った出来事を指す。本項では1914年から1918年にかけての第一次世界大戦への参戦過程と、その政治・経済・社会への影響を中心に整理する。

第一次世界大戦と日本の国際的位置

1914年にヨーロッパで第一次世界大戦が勃発すると、列強は日本の参戦をめぐって思惑を巡らせた。当時の日本は、日露戦争後に国際的地位を高め、アジアにおける列強の一角として振る舞っていた。とくにイギリスとの同盟関係は重要であり、日本は形式上は協商国側・実質的には連合国の一員として行動することになる。日本政府は、自国の参戦を通じて東アジアにおける勢力圏拡大と、列強としての発言力強化を狙った。

参戦の背景と目的

日本の参戦の背景には、複数の要因が重なっていた。第一に、日英同盟によって、イギリスが戦争状態に入った場合には一定の協力義務が生じていたことが挙げられる。第二に、ドイツが租借していた山東半島膠州湾や、太平洋の南洋群島を自国の勢力圏に取り込もうとする対外政策があった。第三に、列強の一員として戦後の講和や新たな国際秩序の形成に参加し、アジアにおける主導権を主張する意図も無視できない。こうした思惑は、当時世界各地で進行していた帝国主義的膨張と密接に結びついていた。

宣戦布告と軍事行動

1914年8月、日本政府はドイツに対して最後通牒を発し、その回答期限が過ぎると正式に宣戦布告した。これにより日本の参戦が始まり、陸軍・海軍は青島攻略と南洋群島の占領に動いた。海軍は連合国側のシーレーン防衛にも協力し、インド洋や地中海への艦隊派遣を通じて軍事貢献を行った。日本の戦場は主として東アジアと太平洋であり、欧州本土での大規模な塹壕戦には直接かかわらなかった点に特徴がある。

青島攻略戦と南洋群島の占領

  • 山東半島膠州湾の青島にはドイツの東洋基地が置かれており、日本軍はイギリス軍と協力してこれを包囲・攻撃した。
  • 1914年末までに青島は陥落し、日本は山東半島におけるドイツの権益を実質的に継承した。
  • 同時に、日本海軍はドイツ領南洋群島(マリアナ・カロリン・マーシャル諸島の一部)を占領し、太平洋における軍事的・海上交通上の拠点を獲得した。

中国政策と二十一か条要求

日本の参戦を通じて拡大した勢力圏は、中国大陸に対する要求強化とも結びついた。日本は1915年、袁世凱政府に対していわゆる二十一か条要求を突きつけ、山東のドイツ権益継承だけでなく、中国内政への深い関与を試みた。この要求は中国国内の強い反発と列強の警戒を招き、中国の民族運動や対日感情の悪化を促した点で重要である。こうした対中政策は、後の中国との対立や東アジアの緊張激化の一因ともなった。

戦時経済と社会への影響

第一次世界大戦期、ヨーロッパ列強が戦争に集中した結果、アジア市場では日本製品の需要が急増し、日本経済は一時的な好況を迎えた。造船・海運・重工業などが急成長し、都市部には戦争景気による投機も広がった。他方で、物価とくに米価の高騰は庶民生活を圧迫し、1918年には米騒動が全国的に発生する。こうした経済構造の変化と社会不安は、戦後の国内政治や大正デモクラシーの展開とも密接に関係した。

講和会議と戦後の国際秩序

1918年の休戦後、日本はパリ講和会議に参加し、戦勝国として講和交渉に加わった。日本は山東権益や南洋群島委任統治権を認めさせる一方、国際社会における地位向上をめざして国際連盟の設立にも関与した。人種差別撤廃案の提案などは否決されたものの、連盟常任理事国となったことで、日本は名目上は列強の一員として国際秩序の枠組みに組み込まれた。こうして日本の参戦は、東アジアにおける勢力拡大と国際政治上の地位上昇という成果をもたらしつつ、同時に地域の対立や矛盾を深め、後の時代への課題を残したのである。