協商国
協商国とは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、イギリス・フランス・ロシア帝国を中心に結ばれた協力関係および、それを基盤として第一次世界大戦で中央同盟国と対峙した陣営を指す歴史用語である。「協商」は必ずしも形式的な軍事同盟ではなく、外交的な合意や調整によるゆるやかな結束を意味し、ドイツ帝国を中心とする同盟体制に対抗するための包囲網として機能した点に特色がある。
成立の背景
ドイツ帝国の成立後、ビスマルク外交のもとでヨーロッパの勢力均衡は再編され、列強は植民地獲得や軍拡競争を激化させた。ビスマルク失脚後、フランスは孤立脱却のためロシア帝国と接近し、独露再保障条約の失効を経て露仏同盟が成立する。さらにイギリスとフランスの「英仏協商」、イギリスとロシアの「英露協商」が結ばれ、これら一連の協調関係が総称されて協商国と呼ばれるようになった。この帝国主義的競争は、ドイツの哲学者ニーチェが論じた「力への意志」に象徴される攻撃的な国家意識とも結びつけられて理解されている。
構成国とその特徴
第一次世界大戦勃発前後の協商国は、主としてイギリス・フランス・ロシア帝国の3国協商に基づいていたが、その政治的・軍事的性格は国ごとに異なっていた。
- イギリス:世界最大の植民地帝国として海軍力を誇り、ドイツの海軍拡張と世界市場への挑戦を最大の脅威とみなした。
- フランス:普仏戦争で失ったアルザス=ロレーヌの回復を悲願とし、外交面でドイツの包囲を推し進めた。
- ロシア帝国:バルカン半島や中東への南下政策を進め、オスマン帝国やオーストリア=ハンガリー二重帝国との対立を深めた。
この3国に加え、バルカン諸国や小国もそれぞれの利害から協商国側に接近し、地域紛争が大戦へと拡大する素地を形成した。
第一次世界大戦における協商国陣営
1914年のサラエヴォ事件を契機として第一次世界大戦が勃発すると、ドイツ・オーストリア=ハンガリー・オスマン帝国・ブルガリアを中心とする中央同盟国に対し、イギリス・フランス・ロシア帝国が協商国陣営として戦争に突入した。のちにイタリアや日本、ルーマニア、ギリシア、アメリカ合衆国などがこの陣営に加わり、戦争は欧州列強にとどまらない世界規模の総力戦へと発展した。長期化する塹壕戦と海上封鎖は各国経済と社会に深刻な影響を与え、その帰結としてロシア革命や各地の民族運動が生じることとなった。
連合国との関係
歴史学では、狭義には戦前の英仏露3国協商を協商国、戦時にイタリアやアメリカ、日本などを含めた広い枠組みを「連合国」と呼び分けることがある。他方で、第一次世界大戦の反独陣営を総称して協商国と表現する用法も存在し、教科書や研究書によって表現は必ずしも統一されていない。この用語上の揺れは、協商関係そのものが硬直した軍事同盟ではなく、状況に応じて参加国や役割が変化した柔軟な枠組みであったことを反映していると言える。
戦後秩序への影響と思想・科学技術
第一次世界大戦で中央同盟国を破った協商国陣営は、ヴェルサイユ体制と呼ばれる戦後国際秩序を形成し、国際連盟の創設や新国境線の画定を主導した。しかし、厳しい講和条件や民族問題の残存は新たな不満と対立を生み、第二次世界大戦への伏線となった。大戦の経験はヨーロッパ思想にも深い影響を与え、ドイツの哲学者ニーチェが提起したニヒリズム的問題は、総力戦後の精神的荒廃と重ね合わせて読み直された。フランスの作家であり哲学者でもあるサルトルは、戦争と占領の体験を背景に実存主義を展開し、個人の自由と責任をめぐる議論を通じて近代国家や戦争についての批判的思考を促した。また、塹壕戦で用いられた砲兵火力や通信機器には電気工学や物理学の成果が総動員され、その象徴として電位の単位ボルトなどの概念が軍需産業や兵器開発に応用された。戦後の科学技術と社会の関係を検討する際にも、実存主義者サルトルの議論やニーチェの思想、さらに物理単位ボルトが示す近代科学のあり方を手がかりとして、協商国陣営が経験した戦争と文明の相互作用を読み解く試みが続けられている。