保甲法|郷里共同責任で治安・兵役を統制

保甲法

保甲法は、北宋の神宗期に宰相王安石が推進した新法の一つで、農村・市街の戸を十戸単位の「甲」、十甲単位の「保」に編成し、相互監督と自衛・治安維持を担わせた制度である。常備軍の膨張による財政圧迫を抑制しつつ兵力の即応性を高め、盗賊・越境侵入への備えを地域共同体に分担させる狙いがあった。戸籍・租税・労役の把握強化にも資するため、社会統制と軍政・財政の連動を図る包括的な地域編制であった。

成立の背景

北宋中期、辺境防衛の要である禁軍は巨大化し、俸給・軍需の負担が国家財政を圧迫していた。加えて華北の外敵圧力、国内の治安不安、戸籍の逸脱などが顕在化した。こうした構造問題に対し、神宗の下で改革を主導した王安石は、国家が全費用を背負う常備軍一辺倒から、地域社会の組織化による分権的な治安・防衛の仕組みへ一部転換する必要を唱え、その柱の一つが保甲法であった。

基本構成と単位

保甲法では、十戸をもって「甲」とし、その代表として甲長を立て、十甲を束ねる「保」には保長を置いた。平時には戸口・耕地・資産などの台帳整備、夜警・哨戒、非常時には簡易な武装出動を担う。武器・訓練は軽便で、正規軍の戦列を直接代替するより、通報・追捕・補助戦の性格が強い。編成は地縁・近隣に基づくため、動員の即応性と相互監視の効果が期待された。

運用と機能

  • 治安維持:夜回り、通報網の整備、盗賊鎮圧の初動対応を行う。
  • 軍政補助:非常時の兵糧輸送や警備、関門管理などで正規軍を補助する。
  • 統計・徴収:戸籍と結び付けた人口・耕地の把握により租税・役務の割付を明確化する。
  • 共同体規律:近隣相互の連帯責任を通じ、流民・無籍者の吸収や移動管理にも作用した。

新法群との連関

保甲法は単独の治安制度ではなく、同時期の財政・経済改革と相互補完の関係にあった。例えば、資金循環の是正を狙う市易法、農民資金の逼迫を和らげる青苗法、役負担の現金化を進めた募役法などと連動し、戸口と経済活動の可視化を進めることで、徴収と防衛の両面で国家の掌握力を高めた。結果として、徴発の恣意性を減らしつつ、地域の自助・互助を制度的に組み込むことが目指された。

地域差と展開

華北では辺境警備上の必要から編制が比較的進み、通報・追捕の機能が重視された。他方、江南など商業・水運の発達地域では、港湾・市舶の警備や夜警の比重が高かった。北宋末から南宋期にかけては戦局の推移とともに適用の濃淡が生じたが、近隣相互の規律と動員の枠組みは各地で断続的に活用された。のちの時代にも「保甲」「里甲」など名称・用法を変えつつ、戸籍・治安の技術として継承される素地を残した。

制度の効果と限界

効果としては、(1)常備軍増強に頼らずに初動態勢を整える抑止効果、(2)戸籍整備と徴収の平準化、(3)近隣相互の共助を促す社会統合が指摘される。一方で、(a)地域負担の増大、(b)指揮・訓練の質の不均一、(c)濫用時の監視強化による生活圧迫などの副作用もあった。加えて、正規軍の戦力に比すべき火力・機動力を持たないため、辺境での大規模戦闘には限界があった。制度の成否は、地方官の運用能力と共同体の実情に大きく依存したのである。

人材・官僚制との相互作用

宋代は科挙エリート官僚が地方統治を担い、指令は文書主義で貫徹された。保甲法の円滑な施行には、州・県の官僚が台帳・規約を整え、甲長・保長を教育・監督する行政技術が不可欠であった。ここで中央の法令と地方の慣行の擦り合わせが行われ、規定の明文化と運用の柔軟性が併存した。試験制度の普及は地方官の均質化を促し、制度拡張の下支えとなった(関連:省試州試殿試)。

比較史的視野

相互連帯や連座的責任を基盤にした近隣編制は、東アジア各地で反復して見られる。唐末以降の治安編制、明代の里甲、清代の保甲、さらに日本の五人組などは、規模・法理・機能に差異があるものの、戸口把握と自治・相互監督を束ねる点で通底する。宋の保甲法は、常備軍中心主義の補完策としてこの系譜を制度的に洗練させ、近世的な地域統治の「情報化」(台帳・届出・定期点検)を早期に実装した事例として位置付けられる。

史料と語の射程

当時の詔令・条例・奏議、諸家の筆記・実録、地方志が保甲法の具体像を伝える。文献上の「保」は地域保全の単位、「甲」は十戸結束の単位を指し、状況により構成人数や役割の細目は揺れがある。実際の運用は地域の地理・人口・産業に応じて調整され、制度名が同じでも職掌配分や責任体系に差異が生じた点を踏まえる必要がある。