省試
省試は、中国の官僚登用制度である科挙において首都の中央官司が実施した中枢段階の試験で、主として礼部が管掌した礼部試を指す語である。唐代の科挙では、地方の予備段階を経た受験者が京師での選抜に臨み、宋代には解試を通過した者が省試(礼部試)に進み、その上位に皇帝臨御の殿試が置かれた。明清期には制度名称が整備され、郷試→会試→殿試の三段階が一般化したが、会試は実質的に唐宋期の省試の性格を継承し、中央での学術・政策判断能力を測る関門として機能し続けたのである。
位置づけと機能
省試の本質は、地方での初段階選抜では把握しきれない文章構成力・経書理解・時政への応用思考を中央で統一基準により審査する点にある。唐代の礼部は尚書省のもとで試験を統括し、宋代でも科挙の要として省試が置かれた。ここで合格した者は進士などの位階を得て、最終的には殿試で序列が確定する。中央での競争は全国規模の受験文化を刺激し、士大夫層の形成に決定的役割を果たしたのである。
歴史的展開
唐では進士科・明経科など諸科が整備され、礼部試としての省試が中央選抜の中核となった。宋代に至ると、地方の解試を通過した受験者が省試に進む二段構えが定着し、太宗期に殿試が制度化され三層構造となった。元代は色目支配の影響で科挙が中断・再開を繰り返すが、中央試の理念は継承され、明清では会試が礼部主催の全国統一試として確立し、唐宋の省試に相当する地位を担った。
出題科目と試験法
省試では、経書の解釈と整合性、政策論(策問)、および詩賦・駢儷文などの文体技法が問われた。宋代には経義重視が進み、注釈の整序や章句の会通が得点の鍵となる。答案は定められた字数・構成に従い、論証の明晰さや典拠の的確さが評価された。採点では試巻の匿名化(糊名)や再評点の仕組みが導入され、地方差・人脈差の抑制が図られた点も省試の特徴である。
受験資格と合格者の進路
省試への進出には、地方段階の合格(唐の地方推挙・宋の解試通過など)が必要で、各地の解額(定員)に応じて上限が調整された。合格率は厳しく、合格者は翰林学士院や各司・六部への登用候補となる。殿試での名次が最終的人事の基礎となるが、省試合格自体が官途への強力な通行証であり、門閥や世襲に依存しない登用の正統性を支えた。
運営・監察と不正防止
省試の実施は、試院の設営、監臨官の派遣、試題の封緘、答案の再配点など、厳格な手順に基づいた。受験生は所持品の検査を受け、試房に籠って制限時間内に答案を作成する。不正行為(通関・挿換)を防ぐため、筆跡照合、本文・典拠の照査、採点官の隔離など多層の監督が機能し、省試の公正性は国家権威の根幹と結びついた。
社会的影響
省試は書記言語の規範化を促し、経書解釈の正統を形成した。合格を目指す教育市場は書院・私塾・書籍流通を活性化させ、地域を越えた人的ネットワークを拡大した。また、良家子の競争参加を通じて上昇移動の機会を提供しつつ、落第の大量発生は「層の厚い」士人社会を生み、文化的生産を豊富化した。こうした波及は省試の制度的威信に依拠していたのである。
用語上の注意
史料では、唐宋の中央礼部試を省試と呼ぶ一方、明清の中央会試を礼部試と称して連続性を強調する用法が見られる。他方で「省」を近代日本語の「地方行政単位(省=プロヴィンス)」と混同し、郷試を省試と誤記する例もある。学術的には、唐宋の省試=中央選抜、明清の会試=その後継と整理するのが妥当である。
関連段階との関係
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郷試(地方本格試)― 明清の第一次全国選抜で、会試への通行証を付与する。性格は唐宋の解試に近く、省試の前段にあたる。
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会試(中央統一試)― 明清の礼部主催。唐宋の省試に相当し、最終の殿試に接続する。
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殿試(最終選抜)― 皇帝臨御で序列を定める。政治的象徴性が強く、省試の学術審査と役割分担する。
試題の傾向と評価基準
省試の策問は、治税・兵農調整・辺政・礼制など当代の実務課題に直結した。優れた答案は、経典の引用が過不足なく、事例と理論を結び、語句運びが整い、論点配列が一貫している。単なる博識ではなく、国家運営への適用力が核心であった点に、省試の制度的洗練が表れている。