乙巳の変
乙巳の変(いっしのへん)は、645年(皇極天皇4年)6月12日に飛鳥の板蓋宮において、中大兄皇子や中臣鎌足らが蘇我入鹿を暗殺し、蘇我氏の宗家を滅ぼした政変である。この事件は、日本古代史における重大な転換点とされ、その後の大規模な政治改革である大化の改新の幕開けとなった。従来、この暗殺事件自体が「大化の改新」と混同されることもあったが、現代の歴史学においては、645年のクーデターを乙巳の変、それ以降の法制度や官僚制の整備を含む一連の改革過程を大化の改新として峻別して扱うのが通例である。本稿では、蘇我氏の専横から政変の実行、そして新政権の誕生に至るまでの経緯を詳述する。
蘇我氏の専横と権力構造の歪み
乙巳の変に至る背景には、飛鳥時代を通じて強大な権力を誇った蘇我氏による独裁政治があった。蘇我馬子の代に確立された権勢は、子の蝦夷、孫の入鹿へと引き継がれる中でさらに強化され、天皇を凌駕するほどの権力を持つようになった。特に蘇我入鹿は、自らの権力を確固たるものにするため、聖徳太子の遺児であり人望の厚かった山背大兄王を攻撃して自害に追い込み、皇位継承に直接介入する姿勢を鮮明にした。このような入鹿の強硬な態度は、皇族や中臣氏をはじめとする他の有力豪族たちの間に強い危機感と反発を抱かせることとなり、反蘇我勢力が結集する最大の要因となった。
中大兄皇子と中臣鎌足の密議
蘇我氏打倒の中心的役割を担ったのは、後に天智天皇となる中大兄皇子と、藤原氏の祖となる中臣鎌足である。鎌足は、強大化する蘇我氏に対して危機感を持ち、密かに皇族の中から変革のリーダーとなり得る人物を探していた。二人の出会いは、飛鳥寺で行われた蹴鞠の会において、中大兄皇子の脱げた靴を鎌足が拾って献上したことがきっかけとされる。意気投合した二人は、蘇我氏の手を逃れるために法興寺(飛鳥寺)での講義などに名を借りて密談を重ね、着々と打倒蘇我氏の計画を練り上げた。この際、蘇我氏内部の分裂を誘うために、入鹿の従兄弟にあたる蘇我倉山田石川麻呂を味方に引き入れるなど、緻密な工作が行われたことが乙巳の変の成功に繋がった。
板蓋宮における入鹿暗殺の決行
乙巳の変の決行当日は、朝鮮半島(三韓)からの使者が貢ぎ物を捧げる「三韓の調」の儀式が行われる日であった。645年6月12日、飛鳥板蓋宮の大極殿において、皇極天皇の御前で儀式が始まった。石川麻呂が上表文を読み上げる中、中大兄皇子と鎌足は入鹿を奇襲する機会を伺っていた。刺客たちが恐怖で立ちすくむ中、自ら長槍を手にした中大兄皇子が入鹿に躍りかかり、入鹿の肩から首にかけてを切りつけた。負傷した入鹿は天皇に潔白を訴えたが、中大兄皇子は入鹿が皇族を殺害し王位を脅かしている罪を主張した。最終的に入鹿はその場でとどめを刺され、遺体は雨の降る庭に投げ出された。これが乙巳の変の最も劇的な瞬間であり、蘇我氏の栄華が終焉を迎えた瞬間でもあった。
蘇我宗家の滅亡と新政権の樹立
入鹿暗殺の翌日、甘樫丘にいた父の蘇我蝦夷は、軍勢が散り散りになり、もはや抵抗が不可能であることを悟り、自ら邸宅に火を放って自害した。これにより、飛鳥政治を長年主導してきた蘇我氏の宗家は滅亡した。政変後、皇極天皇は退位し、中大兄皇子は自ら即位するのではなく、叔父である軽皇子を立てて孝徳天皇として即位させた。中大兄皇子は皇太子として実権を握り、中臣鎌足は内臣に任じられた。この新政権は、日本で初めての元号である「大化」を制定し、従来の豪族による氏姓制度から、天皇を中心とした律令国家体制への移行を目指す大規模な改革に着手することとなった。
乙巳の変の歴史的意義と評価
乙巳の変は、単なる権力闘争としての政変に留まらず、日本の国家形成史において極めて重要な意義を持っている。それまでの日本は、有力豪族の連合体としての性格が強かったが、この変革を経て、唐の官僚制度や土地制度を参考にした中央集権国家への歩みが加速した。特に公地公民制の導入や国郡制度の整備は、後の大宝律令の完成へと繋がる重要なステップであった。また、外交面においても、緊迫する東アジア情勢に対応できる強力な指導体制の構築を目指したという側面がある。乙巳の変は、古代日本が「倭」から「日本」へとその姿を変えていく過程における、不可逆的な出発点であったと評価されている。
事件を伝える主要史料
乙巳の変の詳細な経緯を伝える最大の史料は、8世紀に編纂された『日本書紀』である。同書では、中大兄皇子と鎌足の活躍を英雄的に描く一方で、蘇我入鹿を悪逆非道な簒奪者として叙述しており、新政権の正当性を強調する意図が強く反映されている。近年の研究では、入鹿が必ずしも独裁者ではなく、外交政策における路線の対立が背景にあったとする説や、蘇我氏以外の有力豪族による合議制を守ろうとした側面があるとする見方も提示されている。しかし、いずれにせよ乙巳の変が当時の政治体制に劇的な断絶をもたらした事実に変わりはなく、考古学的な発掘調査による板蓋宮の遺構確認なども、この事件の歴史的な実在性を裏付けている。
乙巳の変前後の主要出来事
| 年代 | 主な出来事 |
|---|---|
| 643年 | 蘇我入鹿により山背大兄王が攻められ、上宮王家が滅亡する。 |
| 644年 | 中大兄皇子と中臣鎌足が蹴鞠を通じて出会い、蘇我氏打倒を密議する。 |
| 645年6月 | 乙巳の変が勃発。板蓋宮にて蘇我入鹿が暗殺され、蘇我蝦夷が自害。 |
| 645年6月 | 孝徳天皇が即位し、日本最初の元号「大化」が定められる。 |
| 646年 | 「改新の詔」が発布され、公地公民制などの改革方針が示される。 |
関連人物と用語
- 中大兄皇子:政変の実行者であり、後の第38代天智天皇。
- 中臣鎌足:政変の策士。後に藤原の姓を賜り、藤原氏の祖となる。
- 蘇我入鹿:蘇我氏の絶頂期を築くが、乙巳の変で討たれる。
- 三韓の調:朝鮮半島の諸国からの朝貢を祝う行事。暗殺の舞台となった。