ミズーリ協定|奴隷制拡大を一時的に抑えた妥協

ミズーリ協定

ミズーリ協定は、1820年に成立したアメリカ合衆国の妥協案であり、新たな州の加入をめぐって激化した自由州と奴隷州の対立を一時的に調整した政治的取り決めである。これは、連邦議会での勢力均衡を維持しつつ、西方への領土拡大のなかで奴隷制をどこまで認めるかという問題に初めて全国的な線引きを与えた点で重要であり、のちの南北戦争へと続く長期的な対立の出発点の一つとみなされている。

背景:領土拡大と奴隷制問題

19世紀初頭、アメリカ合衆国はルイジアナ買収以降、西方への領土拡大を進めていた。ミシシッピ川以西には肥沃な土地が広がり、綿花を中心とする綿花プランテーション経営を拡大したい南部の奴隷主にとって魅力的な地域であった。他方、北部の多くの人びとは奴隷制の拡大に反対し、新たな領域を自由労働に基づく社会として発展させることを望んだ。このように西方への進出は、西漸運動の進展とともに、自由州と奴隷州の利害対立を先鋭化させていった。

ミズーリ州昇格をめぐる対立

1819年、ミシシッピ川中流域に位置するミズーリ準州が奴隷州としての州昇格を申請すると、連邦議会で激しい論争が起こった。当時、上院では自由州と奴隷州の数が同数であり、ミズーリを奴隷州として承認すれば南部側が優勢になるとの危機感が北部議員の間で高まった。北部の一部議員は、ミズーリにおける奴隷制の漸進的廃止を条件とする修正案を提出し、これに対して南部議員は州の内政に対する不当な干渉だとして反発した。この対立は、単なる地域利害を越えて、連邦政府と各州との権限関係や州権主義の問題にも関わる政治争点となった。

ミズーリ協定の内容

ミズーリ協定は、ケンタッキー出身の政治家ヘンリー・クレイらの調停により成立した妥協案である。その主要な内容は次のように整理できる。

  • ミズーリを奴隷州として連邦に加盟させる。
  • 同時にメインを自由州として昇格させ、上院における自由州と奴隷州の数を再び均衡させる。
  • ルイジアナ買収地のうち北緯36度30分以北の地域では、将来成立する新州において奴隷制を禁止する。

36度30分線と自由州・奴隷州の区分

北緯36度30分線は、奴隷制を認める南側と、原則として奴隷制を禁止する北側とを区切る象徴的な境界線となった。もっとも、この線引きはあくまでルイジアナ買収地にのみ適用され、すでに存在していた州の制度には影響を与えなかった。それでも、地図上に明確な区分を設けたことは、奴隷制問題を「国家全体の制度」ではなく「地域ごとに異なる制度」として固定化し、のちのアメリカの南北対立を制度面から支えることになった。

妥協の政治的意味

ミズーリ協定は、短期的には議会の行き詰まりを解消し、自由州と奴隷州の勢力均衡を回復させた点で「成功した妥協」と評価されることが多い。南部はミズーリの奴隷州としての加盟を確保し、北部はメインの自由州加盟と北緯36度30分以北での奴隷制禁止を勝ち取ったからである。しかしその一方で、この協定は奴隷制そのものの是非には踏み込まず、奴隷制を含む南部社会を前提として妥協したにすぎなかった。そのため、問題の根本的解決ではなく、対立の先送りという性格を強く持っていた。

ミズーリ協定の限界と崩壊

19世紀半ばになると、カンザス・ネブラスカ法の制定によってミズーリ協定は事実上破棄され、領土内で奴隷制を認めるかどうかを住民投票に委ねる「人民主権」の原則が打ち出された。これにより、カンザスでは奴隷制賛成派と反対派の武力衝突が生じ、流血の内戦状態となった。また、連邦最高裁のドレッド・スコット判決は、連邦議会に奴隷制を禁止する権限はないと述べ、かつての妥協の憲法的正当性さえ揺るがした。こうして、フロンティア地域をめぐる制度的安定は崩れ、妥協による調整は限界を迎えた。

西部開拓と先住民政策との関係

ミズーリ協定によって奴隷制の拡大範囲が区分される一方、同じ時期の西部開拓では先住民の土地が急速に侵食されていた。アンドリュー・ジャクソン政権下で成立したインディアン強制移住法や、そこから生じた涙の旅路などの出来事は、奴隷制とは別の形で人びとの自由と人権が侵害されていたことを示している。奴隷制問題と先住民政策は異なる領域の問題であるが、西方への領土拡大という共通の文脈のもとで進行しており、インディアン居留地の拡大もまた、アメリカ国家のあり方を問う重大な論点であった。

アメリカ史におけるミズーリ協定の位置づけ

以上のように、ミズーリ協定は、自由州と奴隷州の均衡を保ちつつ領土拡大を進めようとした初期の制度的枠組みであり、19世紀前半のアメリカ政治を理解するうえで欠かせない転換点である。協定は一時的に対立を和らげたが、綿花経済を基盤とする南部社会と、工業化と保護関税政策を重視する北部社会との構造的対立を解消することはできなかった。その結果、奴隷制の拡大をめぐる問題は、やがて妥協では収拾できない段階に達し、南北戦争という内戦によって決着をつけることになるのである。