クーリー
クーリーとは、19世紀から20世紀初頭にかけてアジアから世界各地へ移送された低賃金労働者を指す呼称であり、とりわけ中国人やインド人の契約労働者を意味する場合が多い。英語の「coolie」や漢字の「苦力」に由来し、本来は肉体労働者を表す語であったが、植民地支配と人種差別の文脈で侮蔑的な意味合いを帯びるようになった。黒人奴隷制の廃止後、プランテーションや鉱山、鉄道建設などで新たな労働力が必要とされた結果、クーリーは世界資本主義と帝国主義の拡大を支える重要な存在となったが、その待遇はしばしば奴隷制に近い過酷なものであった。
語源と用語の成立
「苦力」という表記は、中国語で「苦しみの労働」を連想させることから、アジア人の重労働者を総称する言葉として広まったとされる。欧米では「coolie」という表現が定着し、港湾労働者や荷運び人だけでなく、長期契約で縛られた移民労働者全般を指すようになった。植民地当局や企業はこの語を中立的な職業名のように用いたが、現地社会や白人労働者の間では、低賃金で競争相手となる東洋人労働者を蔑視するニュアンスが強かった。そのため、今日では人種差別的な歴史をもつ用語として扱われ、学術的にも使用には注意が払われている。
発生の歴史的背景
19世紀前半、アジア、特に南中国やインドでは人口増加と土地不足、税負担の増大などにより、貧困層が急増した。一方で大西洋世界では奴隷解放の進展により、砂糖や綿花などを生産するプランテーションで深刻な労働力不足が生じた。こうして、余剰人口を抱えるアジアと、新たな労働力を求める植民地・独立国家とが結びつき、仲介商人や船会社が組織する移民ネットワークを通じてクーリーが大量に動員された。この動きは、帝国主義体制の下で展開した世界規模の労働移動の一形態であり、のちの移民(アメリカ)の歴史とも深く関連している。
主な移動先と労働分野
多くのクーリーは、カリブ海や南米のプランテーション、ペルーのグアノ採掘地、東南アジアの砂糖・ゴム園、さらには北アメリカやオセアニアの鉱山へと送り込まれた。彼らは砂糖やコーヒーなど輸出用作物の栽培、鉄道や港湾の建設、鉱山での掘削作業といった、危険かつ重労働の現場を担った。移民先では、現地の先住民や他の移民集団との競合・共存が生じ、労働市場と人種秩序の再編に大きな影響を与えた。
アメリカ西部開拓と大陸横断鉄道
北アメリカでは、中国系クーリーがカリフォルニアの金鉱や鉄道建設に大量に動員された。特に大陸横断鉄道の建設では、危険な爆破作業や厳しい自然環境の下で中国人労働者が重要な役割を果たしたが、その賃金は白人労働者よりも低く、居住も隔離されていた。西部開拓が進みフロンティアの消滅が語られる頃には、彼らは一方で開拓の担い手として、他方で排斥運動の標的として位置づけられた。この経験は、のちの反中国人感情や黒人差別と並ぶ人種秩序の形成とも結びついていく。
イギリス帝国とインド系クーリー
イギリス帝国では、インドからのクーリーがマウリティウスやトリニダード、ガイアナ、フィジーなどの砂糖プランテーションへと送り出された。彼らは数年単位の契約で渡航し、一定期間の労働と引き換えに賃金や帰国費用が約束されたが、実際には契約内容が理解されないまま署名させられたり、債務で縛られたりする例も多かった。このようなインド系契約労働は、奴隷貿易廃止後のプランテーション経営を維持する仕組みとして機能し、帝国各地の人口構成にも長期的な影響を与えた。
契約制度と労働条件
クーリーは形式上は「自由契約」によって雇用されていたが、その実態は強制性の強いものであった。仲介業者は借金や虚偽の説明によって労働者を募集し、移送中の船内では過密な環境と疾病により多数の死者が出た。到着後は、賃金の天引きや罰金制度によって契約からの離脱が困難となり、監督者からの体罰も少なくなかった。こうした実態は、表面的には奴隷制を否定しながら、現実にはそれに近い労働搾取を継続する「新奴隷制」として批判されるようになった。
差別・排外主義とアメリカ社会
アメリカ社会では、クーリーは安価な「黄色人種の労働力」として白人労働者から敵視され、排外的な政治運動が展開された。19世紀末には、中国人排斥法などの差別的立法が実施され、すでに根強かった黒人分離政策やジム=クロウと同様に、移民を人種別に区分する法制度が整えられていく。白人至上主義団体であるクー=クラックス=クランやKKKの存在は、アメリカの人種秩序が、黒人だけでなくアジア系移民にも向けられた差別・暴力の体系であったことを示している。そして、これらの排外政策はアメリカの政党政治における重要な争点ともなった。
歴史的意義と評価
今日、歴史研究においてクーリーは、奴隷制廃止後の世界経済を支えたグローバルな労働移動の一環として位置づけられている。同時に、それは近代国家や企業が契約や法制度を利用して労働者を統制し、人種ヒエラルキーを再生産した過程を映し出す存在でもある。差別的ニュアンスをもつ用語であるがゆえに、その使用には慎重さが求められる一方、彼らの経験を記録し記憶することは、帝国主義や人種主義の歴史を理解するうえで不可欠であると評価されている。