大陸横断鉄道
大陸横断鉄道は、19世紀後半のアメリカ合衆国において、大西洋岸と太平洋岸を初めて鉄道で結んだ長距離路線であり、西部開拓と国民経済の統合を象徴する存在である。中西部のオマハ付近からカリフォルニアのサクラメントまでを結び、1869年に開通したこの鉄道は、人や物資の移動時間を大幅に短縮し、西部社会の編成や先住民世界、自然環境に深い変化をもたらした。
建設構想と政治的背景
太平洋岸への移動は、かつては海路か長大な幌馬車隊に頼るしかなく、カリフォルニア金鉱発見以降、内陸を横断する交通路の必要性が高まった。南北の利害対立からルート選定をめぐる政治抗争が続いたが、南北戦争の勃発により、北部主導で議会が動き、1862年の太平洋鉄道法によって建設が本格化した。連邦政府は公有地を払い下げ、社債保証を行うことで事業を後押しし、企業と国家が結びついた近代的インフラ整備の先例となった。この過程は、議会・大統領・資本家が絡み合うアメリカの政党政治の一断面でもあった。
ルートと建設会社
東側からはユニオン・パシフィック鉄道、西側からはセントラル・パシフィック鉄道が建設を進め、それぞれ中西部平原とシエラネバダ山脈という異なる自然条件に挑んだ。1869年、ユタ準州プロモントリー・サミットで両線が接続され、「ゴールデン・スパイク」と呼ばれる金の犬釘が打ち込まれた儀式は、国民的祝典として記憶されている。山岳地帯ではトンネル掘削や橋梁建設が連続し、工期短縮と利益拡大をめぐって過酷な作業が強いられた。
労働力と移民社会
西側区間では中国人移民が、東側区間ではアイルランド系移民や内戦帰還兵などが主要な労働力を担い、厳しい気候や危険な作業に従事した。低賃金・高リスクの労働条件は、移民に対する差別意識と結びつき、後の排華運動にもつながっていく。一方、黒人解放後の南部では、黒人差別と債務関係に縛られたシェアクロッパーが増加し、鉄道による綿花・農産物輸送の拡大は、南部農業構造の固定化にも作用した。鉄道建設とその利用は、多民族社会の分業と格差を可視化する場でもあった。
先住民社会と自然環境への影響
新たな鉄路は、平原地帯に暮らす先住民の遊牧ルートを分断し、軍隊や開拓農民の移動を容易にした。バッファローの大量捕獲や開拓地の拡大は、狩猟に依存する部族の生活基盤を根本から揺るがし、武力衝突の頻発へとつながった。やがて保留地政策の強化や、19世紀末のウーンデットニーの虐殺などを経て、平原の戦いは終息へ向かい、連邦政府主導の統治が広がる。鉄道は、こうしたフロンティアの消滅を加速した装置としても理解される。
西部経済と社会の変容
開通後、西部から東部へは穀物・鉱産資源・牛が大量に輸送され、東部からは工業製品や移民が流入した。テキサスなどで行われた大規模な牛の移送であるロング=ドライブは、鉄道駅を終点として肉牛市場を拡大させ、その後の大牧場経営と食肉産業の発展に結びついた。鉄道沿線には町が急速に形成され、商店・銀行・新聞社などが立地して地域社会が整えられた一方、開発の波に乗れない人びととの格差も拡大した。
歴史的意義と評価
この鉄道は、国土を一体の市場として結びつけ、工業化と都市化を支える基盤となった点で高く評価される。他方で、先住民の土地喪失や移民差別、南部における階層固定など、多数の犠牲の上に成り立った側面も無視できない。産業・国家・社会が複雑に絡み合う19世紀アメリカ史の縮図として、また近代国家のインフラ政策や黒人差別などの問題を検討するうえで、今日でも重要な研究対象であり続けている。