移民(アメリカ)
移民(アメリカ)とは、ヨーロッパやアジア、ラテンアメリカなど世界各地からアメリカ合衆国へ長期的に移住した人びとと、その受け入れの歴史を指す概念である。アメリカは「移民の国」と呼ばれるほど、多様な出自の集団が社会を構成してきたが、その過程には機会と上昇の物語だけでなく、差別・排除・同化圧力といった負の側面もともなった。経済発展、領土拡大、国家統合、そして民族関係の変化を理解するうえで、アメリカの移民史は欠かせないテーマである。
植民地時代から19世紀前半の移民
アメリカへの移住は、イギリス植民地時代から始まり、宗教的自由や土地を求めるプロテスタントや、経済的困窮から脱出しようとする農民などが大西洋を渡った。同時に、アフリカからの強制移送による黒人奴隷も「望まぬ移民」として連行され、南部のプランテーション社会を支えた。独立後も、合衆国は西方への領土拡大とともにヨーロッパ移民を受け入れ、フロンティア開拓や農業生産を担わせた。この時期の移民は、主としてイギリス系、アイルランド系、ドイツ系など北西ヨーロッパ出身者が中心であった。
フロンティアと19世紀後半の大量移民
19世紀後半になると、南北戦争後の工業化と大陸横断鉄道の建設を背景に、アメリカは本格的な大量移民時代を迎えた。鉄道・鉱山・製造業では大量の労働力が必要とされ、貧困や人口増加に直面したヨーロッパ諸国の人びとが次々と移住した。アイルランドの飢饉を経験した農民や、政治的混乱に悩むドイツの職人に続き、やがてイタリア、ポーランド、ロシア、オーストリア=ハンガリーなど東欧・南欧からの移民も増加した。また西海岸では、中国系移民が鉄道建設や鉱山労働に従事し、アジアからの労働力流入も進展した。
都市化・工業化と移民社会
大量移民は、ニューヨーク、ボストン、シカゴなど東部・中西部の都市に集中し、労働者階級の形成と急速な都市化を促した。移民は狭いアパートに密集して住みながら工場で長時間労働に従事し、低賃金と劣悪な環境に苦しんだ。他方、民族ごとの教会、学校、相互扶助組織を中心に「リトル・イタリー」や「チャイナタウン」といったコミュニティが形成され、独自の文化が息づいた。移民はアメリカ経済の発展を支えつつ、都市社会の貧困、治安悪化、政治腐敗などと結びつけられ、しばしばスケープゴートとされた。
排外主義と移民制限
移民の増加は、先住の白人市民の間に文化的不安や雇用不安を引き起こし、排外主義を生み出した。西海岸では中国人労働者に対する敵意から、19世紀末に中国人排斥法が制定され、アジア系移民への法的差別が強まった。また20世紀初頭には、東欧・南欧からの移民を「同化しにくい」とみなす議論が高まり、国別の割当制(クオータ制)によって、北西ヨーロッパ系を優遇し他地域を制限する制度が導入された。こうした政策は、アメリカ社会における白人優位と人種秩序を維持する手段でもあり、黒人差別やジム=クロウ体制と同じ文脈で理解できる。
移民と人種・階級秩序
アメリカの移民は、人種・階級秩序のなかに位置づけられてきた。南部では、奴隷解放後の黒人農民がシェアクロッパーとして従属的地位に置かれた一方、ヨーロッパ系移民は都市や農村で段階的に地位向上を遂げ、「白人」として主流社会に受け入れられていった。この過程で、「白人」の範囲には当初含まれていなかったイタリア系やポーランド系なども、時間の経過とともに組み込まれていく。他方、アジア系やラテンアメリカ系は長く差別の対象とされ、人種秩序の下位に位置づけられた。
20世紀以降の移民政策の転換
第2次世界大戦後、冷戦期を経るなかで、人種差別への批判と人権意識の高まりから、1960年代には移民法の大幅な改正が行われ、人種や出身地域によるクオータ制が撤廃された。これにより、アジアやラテンアメリカからの移民が飛躍的に増加し、アメリカ社会はより多民族・多文化的な性格を強めた。近年では、不法移民問題や治安・雇用をめぐる論争が激化し、移民の受け入れをめぐる政治対立はアメリカの政党政治の重要争点となっている。
アメリカ社会における移民の意義
このように、移民(アメリカ)の歴史は、経済発展を支えた労働力供給、文化的多様性の創出という側面と、人種主義や排外主義、社会的格差を生み出した側面を併せ持つ。移民がつくりあげた文化は、音楽、食文化、宗教、政治運動に至るまで、アメリカ社会のあらゆる領域に影響している。フロンティアの消滅後も、新たな「機会のフロンティア」として都市や郊外に移民が流入し続けており、その動向は南北戦争後の国民統合のあり方や、現代のグローバル化を理解する手がかりとなる。移民史をたどることは、アメリカという国家の自己像と矛盾を読み解く作業にほかならない。