イラン人のイスラーム化
イラン人のイスラーム化とは、7世紀半ばのアラブ軍の進出以降、イラン高原の住民が段階的にイスラームを受容し、宗教・社会・言語・政治文化の各領域で再編を遂げた長期過程である。改宗は一挙ではなく、都市と農村、支配層と庶民、そして西部と東部で速度が異なった。8世紀の支配秩序の安定化、税制運用の変化、都市経済の発展、学術ネットワークの拡大が相乗してムスリム人口が増大し、10世紀には新ペルシア語の形成と文学の興隆が、宗教的・文化的イスラーム化を後押しした。やがて社会記憶の再編が進み、古代イランの伝統は新たなイスラーム文明の文脈に組み込まれていく。この過程は16世紀のサファヴィー朝による十二イマーム・シーア派の国教化で一つの帰結をみるが、地域差と多層性は最後まで残存した。
歴史的背景:ササン朝末とアラブ征服
7世紀、ササン朝は長期戦争と内紛で弱体化し、正統カリフ期の遠征によって主要都市が陥落した。征服後も行政・徴税の実務には在来の官僚層が関与し、既存制度を活用する「重層的移行」が選ばれた。初期段階の改宗は限定的で、征服者は住民に即時の宗教転換を強制せず、都市の共同体ごとに条件を取り決め、社会秩序の維持と収入の確保を優先したのである。
征服後の体制:ズィンミーと租税の運用
非ムスリムの被保護民(ズィンミー)は信仰の継続を許され、対価として人頭税ジズヤ等の負担を負った。改宗するとジズヤは免除される一方、土地税(ハラージュ)は存続する場合が多く、税制誘因は地域により差があった。ウマイヤ期にはアラブ部族の優位が残り、改宗者の法的平等は十分でなかったが、これがのちの社会的圧力・交渉を通じて秩序の再設計を促し、改宗の動機づけとも交錯した。
権力交替と均衡:ウマイヤ朝からアッバース朝へ
8世紀半ば、ウマイヤ朝を倒して成立したアッバース朝は、官僚制と学知の重視により、アラブと非アラブの協働を拡大した。新都バグダードは交易・翻訳・神学論争の接点となり、法学や神秘主義を含む多様なイスラーム知の結節点として機能した。これにより、イラン系人材の登用、学術サークルへの参加、都市文化への包摂が進み、イラン人のイスラーム化は制度と学術の両面から加速した。
改宗を促した要因:社会・経済・法の相互作用
- 都市経済の拡大:市場・手工業・隊商交易の発展がムスリム商人ネットワークへの参加を促し、共同体内の婚姻・信用・法的保護が改宗の実利を高めた。
- 法的平等の獲得:改宗者の地位改善が進み、訴訟・相続・契約での便益が明確化した。
- 税制のインセンティブ:改宗による負担軽減(とくにジズヤ免除)が、都市住民や自由職業層を中心に行動を後押しした。
- 軍事・官僚への参入:軍団や官署への登用にはイスラーム法の素養が求められ、宗教教育の受容がキャリア上の前提となった。
言語と文化の変容:新ペルシア語の形成
9〜10世紀、ホラーサーンを中心に、アラビア語語彙を多く取り込んだ新ペルシア語(ダリー)が、Arabic文字で記される文学語として整備された。イスラーム法学や神学はArabicが中核であったが、説教・叙事詩・鏡草子的教訓書などはペルシア語で広まり、二言語環境が宗教的知識の普及を支えた。宮廷文化・書記術・翻訳運動が連動し、在来の王権観や倫理がイスラーム世界の普遍主義と接合されていく。
宗派と政治文化:シーア派優位の形成
中世イランではスンナ派が広く定着したが、神秘主義と敬虔運動、在地権力の保護を背景にシーア派も着実に浸透した。とくに10世紀のブワイフ朝期には宗派儀礼の可視化が進み、サファヴィー朝(16世紀)は十二イマーム派を国家秩序の核とすることで、宗教文化の地平を塗り替えた。とはいえこの展開は背理的断絶ではなく、長い交渉と再編の果てに生まれた政治文化的選択であった。
地域差・時間差:農村社会と辺境の文脈
都市に先行して改宗が進む一方、山間・砂漠縁辺の共同体や職能集団では、在来信仰や通俗儀礼が長く維持された。商隊路や灌漑ネットワークの変動、課税・治安・治水の成否が信仰選択と密接に関わり、地方には混淆的実践が残った。イスラーム化は均質化ではなく、地域文脈に応じた折衷と再定義の積み重ねであった。
年表(主要転換点)
- 651年前後:ササン朝の崩壊、初期征服の定着。都市別協定により宗教継続が容認される。
- 7〜8世紀:ウマイヤ期の支配と在地制度の継承。改宗は局地的に進展。
- 750年:アッバース革命、新都バグダード建設が学術・交易を活性化。
- 9〜10世紀:新ペルシア語の成立、文学・学知の二言語展開が宗教文化の普及を後押し。
- 10世紀後半:在地王朝の台頭、宗派儀礼の可視化と都市共同体の再編。
- 16世紀:サファヴィー朝下で十二イマーム・シーア派が支配的宗教として定着。
補足:継続する多様性とディアスポラ
在来宗教も消滅せず、ヤズドやケルマーン周辺にはゾロアスター教共同体が存続し、一部はインドへ移住してパールシー社会を形成した。イランの宗教史は、断絶ではなく重層的接合の歴史であり、イラン人のイスラーム化もまた、征服・制度・言語・学知・都市経済・宗派政治が絡み合う動的プロセスとして理解されるべきである。