ジズヤ|非ムスリムに課す人頭税制度

ジズヤ

ジズヤはイスラーム国家において非ムスリム臣民(ズィンミー)に課された人頭税である。軍役免除と身分的保護の対価として徴収され、土地税のハラージュ、ムスリムに課される喜捨税ザカートと並ぶ三大財政基盤の一つをなした。7世紀後半の征服拡大と行政整備により実務化され、成人男性を中心に、貧困者・未成年・女性・奴隷・修行僧などは免除されるのが通例であった。時代・地域により税率や徴収法は揺らぎがあるが、国家歳入と共同体秩序を結び付ける制度として長期に機能した。

定義と趣旨

ジズヤは信仰共同体外の臣民に対する保護契約(ズィンマ)の履行条件として課され、代償として信仰の維持、礼拝所の存続、法的保護が認められた。軍務はムスリムに優先され、非ムスリムは軍役から外れる代わりにジズヤを納めるという分担の理屈である。法学的には契約・租税・身分秩序の交点に位置づけられ、各学派は徴収対象や税率の幅を議論した。

歴史的展開

正統カリフ期・ウマイヤ朝

征服初期、シリア・イラク・エジプトなどでジズヤは既存のローマ・サーサーン朝の人頭税を継承・改編して導入された。ウマイヤ朝では財政の柱となり、特にアブド=アルマリク期の行政改革やアラビア語公用語化と相まって課税台帳の整備が進んだ。改宗者の増加に伴い税基盤が揺らぐと、地方では運用調整が図られた。

アッバース朝と中期イスラーム

アッバース朝では官僚機構の成熟によりジズヤはハラージュと併せて体系化された。イラン・中央アジアの都市圏では隊商・手工業が発達し、都市住民の台帳管理が重要となる。トランソクシアナ(マー=ワラー=アンナフル)やエジプトでも地域ごとの差異が見られた。

オスマン帝国と近代

オスマン帝国ではジズヤ(トルコ語形「ジズイェ」)がミッレト体制の一部として維持され、共同体ごとに徴収・配分が管理された。19世紀タンジマート期には軍制改革により代替金制度へ転換し、近代国家化の中で段階的に廃止へ向かった。

制度と徴収法

  • 対象と免除:成人の自由身分男性が原則対象。貧困者・高齢者・障害者・未成年・女性・奴隷・一部の修道者は免除されるのが標準である。

  • 税率:地域経済や身分による段階制が見られ、都市・農村の負担差も存在した。為替や銀貨制度の変動は実質負担に影響した。

  • 支払い様式:年一回の納付が一般的で、台帳(ディーワーン)に記録された。運用は時代により尊厳を保つ配慮から、逆に硬直的な形式まで幅があった。

他税との関係

ジズヤは人頭税であり、土地課税たるハラージュと性質を異にする。ムスリムに課されるザカートや交易税ウシュルと組み合わされ、財政の複線化を生んだ。改宗はジズヤ免除につながるため、財政・布教・統治の三者に緊張関係を生み、地方行政は弾力的運用で均衡を図った。

社会的影響と評価

ジズヤは共同体間の役務分担を制度化し、信仰の自由を担保する一方、負担が過重化すると社会的摩擦を招いた。史料には公平性を保とうとする規定と、恣意的運用の痕跡が併存する。近代歴史学は、法規範・行政実務・地域社会の三層を区別して検討することを重視する。

地域別の展開

西方ではイベリア半島の政権や北アフリカ都市で都市財政の柱となり、東方ではイラン・中央アジアで商業都市社会と結びついた。インド亜大陸では王朝により課税・免除が揺れ、宗教政策の指標として論じられる。西アジアの政治変動、たとえばカルバラーの戦い以後の宗派関係やスンニー派主導の法解釈の広がりも、地域差の一因である。

史料と研究

研究は法学文献、行政文書、貨幣・碑文、各地の契約文書を横断して進められてきた。貨幣改革と行政語の統一は徴税の可視化を助け、アラブ帝国の制度史理解を深める。指導者の宗教政策、例えばイマーム概念の運用や統治者の徳政は、ジズヤの実像に具体性を与える。