道元|曹洞宗,只管打坐,「自己をわするるなり」

道元

道元は日本曹洞宗の開祖。主著は『正法限蔵』。『正法眼蔵随聞記』(弟子である懐奘が道元の言葉をまとめた。)栄西の影響を受けつつも、公案をせずに、ひたすら坐裨にいそしむ只管打坐を悟りへの唯一の道(正門・聖道門)であるとし、心身ともに一切の執着を離れ、山川草木と一体となった身心脱落(無我と慈悲の境地)に入ることを説いた。

目次

道元の略年

1200 京都で誕生。
1213 比叡山で出家する。
1217 建仁寺で明全に師事する。
1223 南宋へ留学し、如浄より印可。
1226 身心脱落の後、悟りを開く。
1227 帰国。
1231 『正法眼蔵』の著述を開始する。
1244 越前傘松に大仏寺を開く。
1246 大仏寺を永平寺に改名する。
1247 鎌倉に下向、関東で禅興隆。
1253 京都にて入滅。

道元の生涯

道元は京都に生まれ、祖父は関白藤原基房、父は内大臣久我通親、母は太政大臣藤原房の娘伊子と伝えられている。3歳で父を、8歳で母を失う。13歳の時、世の無常を感じ、比叡山で出家したが、道を得ることはできなかった。14歳で下山し、諸師を訪ね歩いた。17歳ごろ建仁寺で栄西の弟子である明全に師事し、禅を学んだ。24歳の時、明全とともに南宋へ渡り、中国曹洞宗如浄より禅の教えを受ける。26歳、大悟し、如浄に印可を受け法を嗣ぎ、12年後、27歳で帰国した。33歳ごろ、京都の浅草に興正寺を開き、禅の普及と教化に努めるが、比叡山からの弾圧を受け、43歳の時、越前(福井県)に難を避け、法を嗣ぎ広げるべき出家の弟子中心の修行生活に入った。翌年、永平寺(当初は大仏寺)を開く。、47歳のころ、執権北条時頼の招請により鎌倉に下る。1253年8月、53歳で病没した。道元の後、道元の教団はその峻厳な教えと行により、武士階級の精神的支柱として発展した。なお、曹洞宗は永平寺と鶴見(神奈川県)の総持寺を二大本山としている。

道元の思想

道元は、当時流行していた末法思想を否定し、この世において悟りに至ることを目的とした。その行は礼拝、看経、念仏などを排除して、ひたすら禅に打ち込む只管打坐であり、それによリ我執が捨て去られ、自己の身心とすべての存在の一体化するとした。また、栄西が坐禅により悟りが得られるとしたのに対し、道元は禅そのものがすでに悟りの証しであるとした。

坐禅

仏教の修行法で、足を組んで、端坐(たんざ)し瞑想することをいう。禅宗は、この坐禅を修行の中核とする教えであるが、臨済宗では、坐禅と同時に公案を与えているが、道元は、坐禅そのものが悟りの姿であるとして、もっぱら坐禅に打ちこむ只管打坐を説いた。

只管打坐

只管打坐は、曹洞宗の坐禅の特徴で思想の中心であるといえる。焼香や礼拝、念仏を唱える、もしくは、経典を読む、公案を用いるといった仏教で行われていたことを排除して、ただひたすらに坐禅することをいう。一切の世俗的なことや理論を捨てて、坐禅に打ち込むことで悟りが開くとした。中国では最初、批判的に用いられた禅照禅が、日本では肯定的に解釈されることから始まる。道元は、公案はむしろ悟りを邪魔するものだと考え、只管打坐を強く提唱した。

身心脱落

身心脱落は、身も心も抜け落ちるという意味で、身体も心もすベての束縛離れた境地に達することである。道元が師の如淨から受け取った言葉。
道元はひたすら坐禅をすることで、一切の雑念や世俗的な雑事を退け、心身脱落に達するとした。無我に徹したとき、人間の本性である仏性が実現され、仏法によってあらしめられた山川草木の世界と一体になった、安らかで自由と慈悲に満ちるという。

仏道をならふというは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。

修証一等

修証一等(修証一如)とは、道元の坐禅についての独自の思想を表す言葉で、「修」は禅の修行、「証」は悟りの証を意味する。悟りは修行の結果ではなく、坐禅の修行が悟りそのものであるということ。
坐禅の修行は悟りを得るための単なる手段ではなく、悟りが坐禅そのもののうちにしか現れないだけでなく、坐禅そのものが悟りの体得であり、修行と悟りの体得は切り離すことができない、と述べた。

『正法観蔵』

『正法観蔵』は道元の主著でときに応じた説法をまとめたものである。禅における仏法(正法)の真髄といえ、道元の深遠な禅体験に基づく世界と、人生に関する深い洞察が展開されている。22年間にわたり著された全95巻からなリ、末法思想の否定、自力、坐禅の道、只管打坐、修証—等など道元の禅の思想が網羅されている。

人は誰でも、仏法を悟るべき器である。非器と思ってはならない。教えに従って行えば、かならず悟りを得ることができる。心があれば、善悪を区別することができる。 手があり、足があれば、合掌し歩行することに不足はない。だから、仏法を行うにあたって器を選ぶべきではない。人間界に生を受けたものは、みな仏法を行う器を持っている。仏道を学ぶ人は、ただ明日をあてにしてはならない。今日このときとだけ思って、仏の教えに従っていくべきである。
『正法眼蔵随間記』

自力

自己の仏性を確信し、みずからの努力によって悟りを開こうとする自己救済の立場。道元の只管打坐の禅は、自力信仰を代表するものである。他力との関係で対比的に使われ、自力信仰に立つものを自力聖道門、自力難行道ともいう。ただし、自力・他力の立場は一面で対立し、教理も異なるが、仏心の働きにゆだね、仏道の突践を求めた点は共通であるといえる。