幸徳秋水|日本の社会主義者,非戦論、平民主義

幸徳秋水

幸徳秋水は明治期の社会主義者である。主著は『二十世紀之怪物帝国主義』(1901 明治34)『社会主義神髄』(1903)である。土佐(高知県)の商家に生まれる。年少から自由民権運動に志し、17歳にして上京するが、保安条例に抵触して大阪に退去し、中江兆民の書生となった。中江兆民から民主主義や唯物論を学んだ幸徳秋水は、自由民権運動へさらに社会主義運動へとみずからの思想を深めていった。その後「社会問題研究会」に入会し、片山潜と知り合う。これが民権論者から社会主義者として立つ機緑となった。 その後、秋水は当時勃興しつつあったジャーナリズム界に入り、「万朝報」で活躍するが、同紙が日露戦争で開戦論に傾くと、辞職して1903(明治36)年には平民社を設立し、『平民新聞』で非戦論をとなえるなど、社会主義者として行動した。34歳の時、渡米して西洋の社会運動を学び、帰国後、彼の思想は急進化し、無政府主義に傾倒していく。労働のゼネスト決行を主張する直接行動論を唱え、議会主義派と対立し、片山潜らと決別した。 1910年、明治天皇暗殺計画の首謀者として起訴され、翌年他の11名とともに絞首刑に処せられた(大逆事件)。現在では、幸徳秋水は事件には無関係だったとされている。幸徳秋水中江兆民から民権思想を学び、社会主義へと思想を展開させた。渡米後は急進化し、議会主義を否定したが、日本に科学的社会主義を導入した先駆者として評価される。

幸徳秋水の略年

1871 高知県で出生。
1888 中江兆民の書生となる。
1898 万朝報に入社する。
1903 「平民新聞」発刊する。
1905 筆禍事件で入獄する。出獄後、渡米する。
1907 日本社会党大会で 直接行動論を主張する。
1910 大逆事件で逮捕。(えん罪だと言われている)
1911 刑死する。

深刻な労働・社会問題

この文献が書かれた当時の日本は、資本主義が勃興する一方で、深刻な労働・社会問題が巻きおこっていた。幸徳秋水の思想は、マルクス・エンゲルスの主張に近く、直接行動という激しい路線を歩んだ。

多くの人達が自由な経済活動を行えるならば、今日のような格差は生まれない。しかし多くの人達は現実には労働力しかもたず、土地・資本は一部の人達に押さえられている。多くの人達が貧困にあえいでいるのは当然なのだ。

こころみに思え。もし世界の土地と資本とを、多数人類が自由に生産の用に供することができた、と仮定せよ。彼らが、多額の金利を取られ、法外の地代をかすめられ、もしくは低廉の賃金をもって雇用される必要がなくて、その労働の結果である財産は、ただちに彼らの所有として、自由に消費することができた、と仮定せよ。分配が公平をうしなって、貧富の懸隔する状態が、どうして今日のようにひどくなっているだろうか。
しかも現在、彼らは、ただ労働の力をもっているにすぎない。土地と資本とは、ともに、まったく少数階級の専用に帰して、その生産の大部分を彼らにおさめるのでなければ、けっして使用することがゆるされないのである。世界の多数がつねに飢凍線上に転落するのは、すこしも不思議ではないのである。

反戦論

「平民新聞」を立ち上げて主筆となった幸徳秋水が、社会主義的な立場から大々的に「反戦論」を宣言した。日露戦争における世論はおおむね好戦的であったのに対し、幸徳秋水が反論の余地を与えないまでに激しく戦争を否認している。戦争は、道徳や政治の立場からみても、経済の立場からみても損失は大きい。社会の正義は、戦争のために破壊され、万民の利益と幸福が遠ざかって島う。そのために絶対に戦争を否認し、戦争の防止をしなければならない。

戦争は、道徳から見ても政治から見ても、そして経済から見てもよいことは1つとしてない。社会正義も人々の利益、幸福も駄目になってしまう。われわれは戦争を否認し、その防止を叫ばなくてはならない。

平民主義

われわれは、絶対に戦争を否認する。これを道徳の立場から見れば、おそろしい罪悪である。これを政治の立場から見れば、おそろしい害毒である。これを経済の立場から見れば、おそろしい損失である。社会の正義は、これがために破壊され、万民の利益と幸福とは、これがためにふみにじられる。われわれは、絶対に戦争を否認し、戦争の防止をしなければならない。

『十世紀之怪物帝国主義』

『十世紀之怪物帝国主義』(1901 明治34)幸徳秋水が考える帝国主義について書かれている。「いわゆる愛国心を経とし、いわゆる軍国主義を緯とする」当時の日本の対外進出政策をきびしく批判した。

『社会主義神髄』

『社会主義神髄』(1903 明治36)は、社会主義思想の啓蒙的解説書である。近代文明のもたらした窮乏・罪悪・暗黒・貧困の原因、資本主義の矛盾、そして社会主義の主張・効果・運動について論じられている。

社会の財富はけっして天から降ってくるのではない。地から湧いてくるのではない。一粒の米、一片の金といえども、すべてこれは人間の労働の結果でないものはない。その結果は当然労働者、すなわちこれを産出した者の所有となるべき道理ではないか。しかも多数の労働者よ、なぜ君は君の産出した財富を自由に所有し、消費することができないのか

それは他でもない。彼らが一切の生産機関を持っていないからである。土地を持っていないからである。(『社会主義神髄』)

大逆事件

大逆事件とは、1910(明治43)年、無政府主義者による明治天皇暗殺計画があったとして、幸徳秋水ら社会主義者26名が検挙され、翌年12名が処刑された事件である。幸徳秋水はこの計画に直接関係はなかったが、社会主義運動を弾圧しようとする政府の方針のもとに、首謀者としてえん罪をかけられ、処刑されたといわれている。大逆事件をきっかけとして、社会主義運動や労働運動は、厳しい弾圧を受けた。

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