絶対精神
ヘーゲル哲学の最高の原理で、絶対者または世界の最高原理とされる。主観的精神と客観的精神が統一された自由を本質とする。精神は、自然へと自己を対象化し(自己外化)、いったん自己と疎遠なものとなるが、自由とは他者のもとでも自分自身のもとにあることだから、精神は自然の中にみずからのあらわれである理性的なものを見出し、現実が理性的なものであることを自覚して、対立した自然から再び自己へと帰還する。絶対精神は、自然を否定して自己に帰るために、まず個人の主観的精神 (心・魂・意識)になってあらわれ、次に客観的な社会関係としての客観的精神(法・道徳・人倫)になり、最後に主観的精神と客観的精神を統一する絶対精神となって自己へ帰還する。ヘーゲルは絶対精神が歴史上に表れたものを世界精神と呼び、世界史をこの絶対精神の自己展開の過程と見た。「歴史とは自由の意識の進歩である」。そして、絶対精神は、芸術・宗教・哲学の中にあらわれ、そこで精神は自己自身を対象として純粋に意識する、完全に自由な精神となる。(ヘーゲルの精神)
自由
ヘーゲルにとって自由とは、精神の本質であリ,世界史において絶対精神(神)が自己実現の目的とするものである。
ナポレオン
ヘーゲルはナポレオンがイエナに侵攻した際、「馬に乗っている世界精神を見た」と語っており、世界精神が歴史の中で活躍する中、個人を操り、歴史を動かしていく(理性の狡智)を目の当たりにした。
『歴史哲学講義』ヘーゲル
意識はここまでやってきました。のべてきたのは、自由の原理を実現していく主要な精神の形態です。世界史とは自由の概念の発展にほかならないのですから。が、客観的な自由の表現たる実在の法律は、形式的なものにすぎぬ偶然の意思の抑制を要求します。客観的な法そのものが理性的であれば、人びとの認識も理性にふさわしいものとなり、主観的自由も社会に不可欠の要素となります。わたしたちは自由の概念の進展だけを追いかけ、幸・不幸、民族の全盛期、個人の美しさと偉大さ、個人の喜怒哀楽こもごもの運命については、くわしくのべてみたい気持をしりぞけねばなりませんでした。哲学は、世界史にうつしだされた理念のかがやきしか相手としないもので、現実世界のうんざりするようなむきだしの情熱的行動については、考察の外におくほかはない。哲学の関心は、実現されてゆく理念 の発展過程を,それも自由の意識としてあらわれるほかない自由の理念の発展過程を認識することにあるのです。