楊朱|諸子百家と快楽思想

楊朱 ようしゅ 戦国初期

戦国初期に活躍。道家とされることが多い。当時、楊朱の利己主義や快楽思想が広まった。孟子は楊朱の快楽主義を「他人の髪の毛一本を抜くことすら拒む」徹底した利己主義として批判した。

目次

快楽主義

人生はどんなに長生きしても百年程度でしかない。赤ん坊の頃と老人の時期を除けばほとんど短い。まして夜の眠っている時間と昼間のぼーっとしている時間を除けば、病気や怪我、悩み事で気の晴れない時期を除けば、さらに短くなってしまう。だとすれば、人生はほんのすこしの間しかないなら、我々は欲のままに美しい服を着る、ごちそうを食べ、豪華な屋敷に住んで音楽や色欲にふける。これしかない。しかし、現実はそうした快楽さえも、政府の規制や世間体、自己規制によって満足に味わうことができない。

快楽の範囲

快楽を得るためには健康である必要がある。それに加え、ただ生きているだけでは甲斐がなく、楽しまなければならない。しかし、当然、快楽主義を突き進めすると矛盾に陥ってしまう。感覚的欲望を満たす財力が必要であり、だからといって富を得るために多くの時間や肉体的精神的苦痛を犠牲にすれば、肉体は疲労し精神は憔悴してしまう。そこで楊朱は豪邸、身なり、食事、美女の四種に制限することによってこの矛盾を回避しようとする。とはいえ、現実としてそれすら困難であり本質的な解決とはいいにくい。

歴史主義への反感

万物の生き様は多様であるが、能力のある者もない者も、地位の高い者も低い者も、いずれは死がまっている。能力や地位も運命によって決まり、いずれも運命にしたがっている点では万物すべて斉同である。死の前では生前どうだったかはまったく関係がない。死ねば腐って骨となる点で皆同じである。だとすれば、たまたま訪れた人生を生きるのに他人の評価や死後の評価まで気にすることは無意味である。だとすれば、同じように歴史というのもほとんど無意味・無価値であると考えた。不屈の名声も末代までの悪声も死んでしまえば意味がない。歴史に縛られて生きるよりも、今を有意義に生きるべきである。それどころか、歴史そのものもほとんど無意味であろう。事実の記録はずさんであり、いずれ太古の中に葬り去られ忘れられていく。かっての太古の歴史がそうだったように。人間は不完全であり、しかも必ず消滅して無に帰すとすれば、それが人間にとって意味はない。