本居宣長|国学、もののあわれと大和心

本居宣長

本居宣長は、江戸時代中期の国学者で国学の大成者である。主著は『古事記伝』『源氏物語玉の小櫛』『玉勝問』。医学の道を進められたが、医学とともに儒教や漢学を学ぶ。その中で、荻生徂徠や契沖に触れるとともに国文学に深い関心をもった。その中で賀茂真淵で出会い、『古事記』の実証的研究を通しての古道論を確立した。
本居宣長の思想は、日本の古道を「惟神の道」としてとらえたことと、文芸の本質を「もののあわれ」として人間性を肯定したところにある。こうした日本古来の精神を理解するために、儒教や仏教などの「漢意」を捨てて、古典の実証的研究を通して、日本古来の道(古道)である「惟神の道」を理解し、汚れのない「真心」の世界を見つめることが必要である。それは『古今和歌集』に見られる女性的な「たをやめぶり」であり、文芸の本質としての「もののあはれ」に通じるものであった。町人の豊かな経済力が幕藩体制の動揺を生み出しつつある時代の中で、本居宣長の思想は、民族的な意識と民衆の意識を映した新しい思想であり、時代の一つの推進力となった。

目次

本居宣長の生涯

本居宣長は、伊勢松坂(三重県)松坂の木綿商の家の次男として生まれた。少年時代から習字や漢学を学び、22歳で家督を継いだが、商人に不向きであるとの母の配慮で医学の道を選び、23歳のとき、京都に遊学した。京都滞在の6年間、医学とともに漢学や儒学を学ぶ中で荻生祖徠の古文辞学を知り、また契沖の著書にふれ、国文学に深い関心を持つに到った。28歳で帰郷して小児科医を開業しながら、和歌や『源氏物語』を研究した。
34歳のとき、伊勢に立ち寄った賀茂真淵とめぐり会い、『古事記』研究の重要さを説かれ、その門に入るとともに、以後、書簡のやりとりを通じて、本居宣長は賀茂真淵の志を受け継ぎ、『古事記』の実証的研究を通して古道論の確立に生涯を傾けた。市井の人として、72年の生涯を終えたが、国学における各分野(古典の研究、言語と文法の研究、故実と制度の研究、古道の研究、和歌と物語文学の研究など)を体系づけ、国学を学問として大成した。また、門下生も多く、その半数は町人や農民といわれる。

本居宣長の略年

1730 伊勢国松坂に生まれる。
1751 兄の死去によリ家督相続。
1752 医学を学ぶため京都へ。
1757 松坂に帰リ、医師を開業。
1763 伊勢神宮参宮のために松坂に来ていた賀茂真淵に面会。
1764 賀茂真淵の門下生となる。『古事記伝』を起稿する。
1771 『直毘霊』完成。
1782 書斎「鈴屋」を設ける。
1796 『源氏物語玉の小櫛』を完成する
1798 『古事記伝』を完成する
1801 死去。

文献研究

本居宣長は、古典の文献研究を通して、古道の探求を行うことを学問と自負した。学問によって人の生きる道を知るため、漢意(中国から伝わった儒教や仏教)のを排除して日本固有の「大和心」を理解する必要がある。大和心とは、神の御心のままの「惟神の道」としての「古道」とそこにある汚れのない「真心」であり、古代に見られる「たをやめぶリ」という女性らしさである。そして、それらは、『古事記』や『源氏物語』にみることがある「もののあはれ」に通じるものでもあった。

たおやめぶり(手弱女振)

たおやめぶり(手弱女振)は、女性的で繊細な歌風と人間のあり方である。賀茂真淵が理想とした、男性的でおおらかな万葉調の歌風と人間のあり方である「ますらおぶり」に対する言葉である。『古今集』や『新古今集』の歌にみられる特徴で、本居宣長はこの心情を重視した。

惟神(かんながら)の道

惟神の道とは、神代から伝わってきた、神の御心のままに人為を加えぬ日本固有の道である。国学において求めるべき古道として理想化された。本居宣長は、『古事記』における神がみの事跡の中に示されているものとみて、儒教の聖人の道や仏教の悟りの道と異なり、神の働きによってつくられた、おのずからなる道であると説いた。同時に、自然の感情のままに生きる人間の真心の道にも通じるとした。

主として奉ずべき筋はなにかといえば道の学問である。そもそもこの道は天照大御神(天照大神)の道にて、天皇の天下を治める道、四国万国にあまねく通ずるまことの道であるが、ただ日本にのみ伝わっているものである。それがどういう道かというに、この道こそ『古事記』『日本書紀』の二書に記されたところの、神代上代のいろいろな事跡においてつぶさにそなわっている。

古道

古代日本において、そもそも道とは何かといったことは論じられることはなかったが、日本は安定していた統治が行われていた。本居宣長は、その理由を、神の道すなわち「惟神の道」に従い、自然のままに統治していたからと説く。そしてそれは、『古事記』『日本書紀』に記された神々の時代から伝わってきた、神の御心のままの、人為を加えない日本固有の道が「惟神の道」という古道であり、「真心」の世界であるとした。

真心

真心とは、人間がもっている素直な心のこと。偽りのない真実の心であり、素直でおおらかな心情である。「まごころとは、よくもあしくも生まれたるままの心をいう」と説かれ、儒教・道徳の善悪の観念を離れた、美しいものを美しいと思い、欲しいものを欲しいと思う自然な心とされる。本居宣長は、「生まれながらの真心なるぞ、道にはありける」といい、人間の自然な感情を肯定するとともに、「もののあわれ(人が物事に触れた時におこる素直な心の動き)」を知る心ある人として真心に従って生きることが、人間本来のあり方であると説いた。

真心:『玉勝間』の引用

そもそも道は学問をして知るものではない。生まれながらの真心こそ道なのである。真心とはよくもあしくも、生まれついたるままの心をいう。そうであるのにのちの世の人は、すべて儒教や仏教に影響された漢意にのみうつり、真心を失いはててしまったので、今は学問をしなければ道を知ることができなくなってしまったのである。

もののあわれ

もののあわれとは、あはれ」とは感嘆詞の「ああ」と「はれ」が短縮された語で、人の心が外界の「ものごと」にふれたときにおこる、しみじみとした感情の動きのことである。美しいものを見て素直に美しいと感じる心の動きのように、人間性の自然のあらわれをいう。本居宣長は、『源氏物語』の研究を通して、「もののあわれ」を文芸の本質としてはじめてとらえた。『源氏物語』を人間の共感的な「あはれ」を中心に、人間の真の姿を描き出しているものとし、主人公である光源氏こそ、「もののあはれ」を知る「心ある人」とした。
このように「もののあわれ」は、平安時代の文学や貴族生活の根本にある心的態度で、日本文学を貫く美的理念である。本居宣長は、人間らしい生き方の根本にあるものととらえ、「もののあわれ」を知る人を心あるよき人として理想化した。

もののあわれ:『源氏物語玉の小樽』

もののあわれを知るということは何かというと、まず「あわれ」とはもともと、見るもの聞くもの触れることに心が感動して出る感嘆の声で、今の世の言葉にも「ああ」と言い、「はれ」と言うのがこれである………すべて何事につけても「ああ」「はれ」と感じられるのを「あわれ」と言うのであり、「ああ」「はれ」と感じるべきことに出会えば感じるべき心をわきまえて知り、つねにそう感じることを「あわれ」を知るというのである。

漢意

漢意とは、中国から伝わった仏教や儒教などに影響・感化され、その考え方や生き方に染まってしまった心である。本居宣長は、漢意を形式ばって理屈ばかり説く、堅苦しい精神的態度とし、このために日本人は生き生きとした感情が抑圧され、真心を失ってしまっていると説き、日本古来の「惟神の道」に返ることを主張した。

大和心

大和心とは、漢意に対する言葉で、日本民族固有の精神をあらわす。大和魂ともいい、国学において強調された。本居宣長は、「敷島の大和心を人問わば、朝日ににおう山桜花」と詠み、「もののあわれ」を深く知る心情に大和心を求めた。

漢意の排除:『玉勝間』

学問をして人の生きるべき道を知ろうとするならば、まず漢意をきれいさっぱりと取り去らなくてはならない。この漢意がきれいに除き去られないうちは、どんなに古典を読んでも、また考えても、古代の精神は理解しがたく、古代の精神を理解しなくては、人の生きるべき道というものは理解しがたいことなのである。いったい道というものは、本来学問をして理解する事柄ではない。人が生まれたままの真心に立つのが道というものなのである。真心というのは、善くても悪くても、生まれついたままの人間本来の心をいうのである。ところが後世の人は、全体に例の漢意にばかり感化されて、真心をすっかり失ってしまったので、現代では学間をしなければ道を理解できなくなっているのである。

『直思霊』

『直思霊』とは、『古事記伝』の第一巻の総論の部分に含まれるもので、古道を学ぶ者への導入となるもの。直思は、日本神話に出てくる禍(わざわい)を直す神で、本居宣長はこれを漢心に影響され人びとの禍(わざわい)を直すことにたとえている。

『古事記伝』

『古事記伝』は30余年をかけて完成させた『古事記』の注釈書で、本居宣長の代表作。『古事記伝』の著述を通して、日本に古来から伝わる道として「惟神の道」をあげた。

『源氏物語玉の小櫛』

『源氏物語玉の小櫛』は、源氏物語の本質を説き、またその注釈を記している。『紫文要領』の源氏物語論を晩年に加筆したもので、「もののあわれ」を知る心の重要性を説く。

『玉勝間』

『玉勝間』は随筆で古事や古語に関する考証や学問・思想上のことなどから広く題材を扱っており、それぞれに本居宣長独自の見解が述べられている。

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