曇徴(どんちょう)|高句麗の僧,儒教,飛鳥美術

曇徴(どんちょう)

曇徴(どんちょう)は高句麗の僧である。610年ごろ、隋との戦争が目前に迫った高句麗によって、日本の軍事援助と引き換えに、隋によって派遣された。他、法定(ほうじょう)という僧侶も伴っていた。曇徴・法定の両名は、小墾田(おわりだ)宮におもむき、推古天皇に拝謁したのち、聖徳太子を訪れ会談したと伝えられている。曇徴は儒教の知識を教え、さまざまな技術(臼)や芸術(紙や色彩)を日本に伝えた。

目次

儒教

当時、中国では、南北朝頃から儒教の古典である五経(詩経・書経・易経・春秋・礼記)の講究にすぐれた僧徒を各国に発見しており、曇徴もその1人で学識に長けていた。

飛鳥美術

曇徴は飛鳥美術に大きな影響を与えた。儒教の知識に加えて、貢上した文物・技術の多くが当時の大和朝廷に革新を与えることになる。美術面では、特に彩色(絵の具)や紙・黒の製造法は曇徴が来日以降、顕著に飛鳥美術に見られるようになった。彩色は、すでに日本にも伝来しており、黄書画師(きふみのえかき)・山背(やましろ)画師らの絵師の専業集団が定められていたが、曇徴のもたらした彩色は、のちに仏像などはの塗装に使用され、紙や墨の製法は、写経などの需要を満たすこととなる。

碾磑(てんがい)

曇徴はまた碾磑(てんがい)(臼)ト呼ばれる水力を利用した臼を日本に伝えた。中国ではすでに数百年前から使用されていたが、日本では曇徴が持ち込むまでは知られていなかった。なお、形状などの詳細は不明である。


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