新井白石|朱子学,徳川家宣,『西洋紀聞』,『折たく柴の記』

新井白石

新井白石は、江戸時代中期の朱子学者・政治家である。幕政に関わり、文治主義政治の推進につとめた。主著は『読史余論』、『古史通』、『蝦夷子』『琉球国事略』のほか、イタリア人宣教師シドッチの尋問によって得た知識に基づく『西洋紀聞』、『采覧異言』(さいらんいげん)。幕臣として、あるいは、朱子学者として活躍しただけでなく、鎖国下の日本において西洋についてのすぐれた理解を示した人物としても知られている。

目次

新井白石の略年

1657 明暦の大火の翌日、避難先で生まれる。
1686 朱子学者の木下順庵に入門。
1709 直接、シドッチを尋問。このころから正徳の治を推進(~1715)。
1714 貨幣改鋳(正徳金銀発行)。
1715 海舶互市新例を定める。『西洋記聞』完成。
1716 徳川吉宗が将軍となり、政治上の地位を失う。『折たく柴の記』完成。
1725 死去。

新井白石の生涯

新井白石は、久留里藩(千葉県)藩士の子として江戸に生まれ、久留里藩や幕臣堀田家に仕える。29歳ごろ木下順庵に師事し、順庵の推挙により37歳で甲府潘主徳川綱豊(6代将軍徳川家宣)の侍講となった。
徳川家宣が将用綱吉の養子となった時、幕臣となり、家宣が将軍になると幕政に関与した。家宣の死後も間部詮房とともに幼い将軍家継を補佐し、正徳の治を行った。しかし、門閥勢力を代表する老中と衝突して孤立し、家継が夭折して吉宗が第8代将軍になると失脚し、以後は研究と著述の生活を送る。

新井白石の思想

新井白石の思想は、彼の幕府における政治活動と密接に結びついたものであった。
徳川の中心で活躍した新井白石の思想は、政治活動と相応しており、思想の中核は孟子が説いた王道の理念であるものの、王権一元論と易姓革命論によって将軍の絶対君主化を指向するものであった。古代中国における宗教的権威と武力をあわせもつ絶対の君主を徳川将軍に求めたのである。

『西洋紀聞』

『西洋紀聞』(1715)は新井白石によって西洋の紹介がなされた書。日本に潜入したイタリア人宣教師ヨハン=シドッチの尋問で得た知識をもとに、1715年に書かれた。西洋の歴史・地理・風俗などの記録で、秘本である。宗教(信仰)の問題では儒教の優越性を述べているが、天文・地理などの知識に関しては、西洋に敬服す る態度が示されている。

『折たく柴の記』

『折たく柴の記』は、新井白石が、失脚後に自分の生い立ちから幕府を去るに至るまでのことを記した自伝である。当時の幕政や社会情勢について描かれている。

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