斑鳩宮(いかるがのみや)|聖徳太子,法隆寺

斑鳩宮

601年着工-613年に建設。(推定)聖徳太子(厩戸皇子、28)によって建設された宮殿。聖徳太子は、斑鳩宮に住んだ。朝鮮や隋との外交的な役割を担いながらも、内政的に政敵である敏達天皇の一族が、大和川をはさんでその南岸に位置する広瀬の地に集住しているのに対抗する役割も担っており、斑鳩の地を用明天皇系の一大根拠地した。斑鳩宮には官人たちを接見する朝儀の場もあり、斑鳩は、南の飛鳥とともに政治拠点で会った。建設した後に付近に法隆寺を建設する。643年、蘇我入鹿に攻められ際、焼失した。

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立地

推古天皇の豊浦(とゆら)宮のある飛鳥からは遠方にあるが、船で大和川を下れば難波津まで至近距離にあり、陸路でも河内(かわち)に出るルートののどもとをおさえた地点である。交通の重要拠点でもあった。

外交拠点

聖徳太子が政治に参画して早期の段階で計画されたが、斑鳩宮を拠点として朝鮮3国、さらには隋との外交を積極的に行われた。

財源

斑鳩宮経営の財源は東国を中心とした壬生部(みぶべ)とよばれる服属集団でまかなわれた。