弁証法 Dialektik(独)
弁証法とは、対話法・問答法を意味する。「対話する」というギリシア語の動詞(ディアレゲスタイ)に由来する。ヘーゲルが弁証法を自身の哲学に持ち出して以降は、ある立場(テーゼ)と、それに対立する立場(アンチテーゼ)が現れ、二つの対立する立場が両者を否定し、かつ生かす形で発展的に統合していくことを示していく。
目次
- 正(テーゼ)These(独)
- 反(アンチテーゼ)Antithese(独)
- 合(ジンテーゼ)Synthese(独)
- 止揚(アウフヘーベン)aufheben(独)
- 論法としての弁証法
- ソクラテスの弁証法
- プラトンの弁証法
- カントの弁証法
- フィヒテの弁証法
- ヘーゲルの弁証法
- マルクスの唯物論的弁証法
- エンゲルスの弁証法
- アドルノの否定弁証法
- サルトルの弁証法
- キルケゴールの質的弁証法
正(テーゼ)These(独)
ある立場を間接的に肯定する定立。他との対立を知らず、自己の中に無自覚に埋没している段階で即自と呼ばれる。
反(アンチテーゼ)Antithese(独)
ある立場を否定する他の立場があらわれ、二つの立場が矛盾・対立する反定立。自己に対立するものとの矛盾関係を通して、それと異なるものとしての自己を知る段階で、他のものでないという形で自己に対して対立的に向き合うので、対自と呼ばれる。自己は、他のものとの矛盾・対立の関係を通して、はじめて自己として自覚される。
合(ジンテーゼ)Synthese(独)
二つの矛盾・対立する立場をともに否定しつつ生かし(止揚)、両者をより高次の立場へと高める総合。あるものが自己を否定するものに出会い、その否定するものをさらに否定して、それでないものという自覚を持って自己へと帰る運動をさし、即自かつ対自と呼ばれる。弁証法は、あるものが自己の反対・否定を媒介として、自覚的に自己に帰る運動の論理である。
止揚(アウフヘーベン)aufheben(独)
二つの矛盾・対立する立場を総合・統一することをさす。アウフヘーベンには、否定する、保存する、高めるという三つの意味がある。AとBの対立関係を否定し、両者の内容を保存しながらも、それらを新しい秩序に組み込んでCへと統合して高める働きをさす。
論法としての弁証法
論敵の主張を論駁するためにいったんその主張を前提としておいてそこから矛盾した帰結を引き出す論法
ソクラテスの弁証法
ソクラテスは、弁証法を、対話をつうじて相手の無知を自覚させ、真の知識へ導く、産婆術としての対話法として使った。
プラトンの弁証法
プラトンは、弁証法を真理探究の方法として利用した。
カントの弁証法
人間の認識の道具であるカテゴリーは経験的なものにしか適用できないのに理性はそれを「神」や「世界」、「霊魂」といった形而上学的な対象にまで及んでしまう。これらの形而上学的な課題を理性によって解決すると矛盾が生まれてしまう。(二律背反)そこで弁証法によって、こうした二律背反を克服し、仮象でしかないことを指摘しなければならない。(参考:カントの認識論)
フィヒテの弁証法
ドイツ観念論の哲学者フィヒテは、「私」の存在を自覚する手段として弁証法を用いた。「私」が存在するためには、(1)自分をなにかとして選択し、それを目指して努力する必要がある。(2)私はみずからの外に踏み出す必要がある。(3)外に立てられたものを「私」として自覚する。つまり、弁証法を自我とそれが構成する世界の発展法則となる。
ヘーゲルの弁証法
へーゲルは、認識と世界全体の発展法則とみなして壮大な哲学体系を構築した。世界とは精神が弁証法の論理で発展していくものであるとし、へーゲルは、世界を絶対者(精神の自己展開の過程)としてとらえるという絶対的観念論を説く。精神はあるものが生成し(テーゼ)、それと対立するものがあらわれ(アンチテーゼ)、両者がより高い立場へと統合される(アウフヘーベン)という弁証法の論理にそって、精神(歴史)が展開される。へーゲルによれば、個人だけではなく、人類の歴史そのものが精神が自由を実現する過程であるといえる。そして、精神は自由を本質とするから、歴史は人類の自由の意識の進歩であるといえる。
このような方法で、へーゲルの哲学体系は弁証法的に構成される。論理学・自然哲学・精神哲学の三部門に分けられ、精神哲学はさらに主観的精神・客観的精神・絶対精神の三つの段階に分かれる。この内、客観的な社会関係を形成する客観的精神は、法・道徳・人倫の三つに分かれ、客観的な法と主観的な道徳を統一したものとして人倫が説かれる。
人倫は、社会生活の基盤となる共同体で、家族・市民社会·国家へと弁証法的に発展する。理性的な国家が人倫の完成形態とされ、個人は国家の法や制度を自分の根源(実体)である理性の表現とみて、これに従うことによって、国家の成員として自由になる。(ヘーゲルの弁証法)
マルクスの唯物論的弁証法
マルクスは現実世界の一般的な運動法則とみなし、唯物論的な弁証法を提唱した。これに基づき、唯物論の土台のうえに、ヘーゲルの弁証法的な考え方を取り入れることによって確立されたマルクス主義の世界観を築いた。世界の本質は、自ら運動し発展する物質であり、精神(意識)もそうした物質の発展の所産であるという見方である。また経済学的には、この唯物論的弁証法を基本として資本主義的経済体制の分析をおこない、それに基づいた共産主義の必然性の展開を説いた。
エンゲルスの弁証法
エンゲルスは『自然弁証法』(1925年)を発表し、弁証法を自然哲学にも適用した。
アドルノの否定弁証法
フランクフルト学派のアドルのは従来の弁証法では同一性にしかいきつかないとして、非同一性の救済を目指す「否定弁証法」を提唱した。
キルケゴールの質的弁証法
キルケゴールは、神と人間の質的な断絶・予盾を、全実存をかけた情熱的な信仰によってこえようとする質的弁証法(実存的弁証法・逆説的弁証法)を述べた。抽象的な思考の中で、神と人間の質的な断絶を量的なものに解消して統合するヘーゲルの量的弁証法を批判し、永遠の神が時間の中にあらわれるという、常識的な論理をこえた逆説(一般的な考えと矛盾する説。背理)を受け入れ、神との質的断絶を信仰の情熱によってこえ、神と出会うことによって真の自己を回復しようとした。
サルトルの弁証法
ヘーゲルの弁証法は、サルトルの『弁証法的理性批判』において、弁証法の再検討を行われた。マルクス主義を批判的に扱うとともに、人間主体的実践の論理としての「構成する弁証法」に基いて、人間をその全体性において捉える「構成的・歴史的人間学」を構築した。