孔子|儒教を説いた諸子百家,「吾十五にして学に志し」

孔子  Kǒng zǐ

孔子(BC551?~BC479?)は儒家の祖で、主著は『論語」(言行録)。古代中国の春秋時代末期の思想家。儒教を作った。姓は孔、名は丘(きゅう)、字は仲尼(ちゅうじ)、魯の国の曲阜(きょくふ)に生まれる。父は下級貴族に属する武将であったが、幼くして両親と死別し、貧窮の中、苦学した。倉庫番や家畜の飼育係などの下級役人を務めながら、詩、書、礼を学び、52歳のとき魯の官吏をへて、大司冠(司法長官)に就任した。大臣として政治をも担った。しかし、出身の身分が仇となり、また政治改革に失敗したのを期に、56歳で魯の国を追われる。その後、14年間、弟子とともに諸国を遊説し、徳治政治の理想を説いた。69歳のときに魯の国に再び戻り、弟子の教育の傍ら、『書経』、『詩経』『春秋』などを編纂した。孔子の塾は誰でも入門でき、多くの弟子を教育する。74歳で死去。その後、弟子によって孔子の教えが広まった。日本には4世紀ごろに伝わり、江戸時代に儒学として幅広く親しまれた。

孔子
孔子

目次

孔子の略歴

前551 魯の国で生まれる。
前550 父の死去。
前533 息子(鯉)誕生。
前532 魯の司職の吏(り)となる。
前517 昭公(しょうこう)に従い、斉へ行く。
前501 魯の大司寇(大臣)に就任する
前497 魯を去り、各地に放浪の旅に出る。
前484 魯に戻り、弟子の教育に専念する。
前482 弟子の顔淵(がんえん)が死去。
前480 弟子の子路(しろ)が死去。
前479 死去。

「吾(われ)十五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る 六十にして耳順う。七十にして心の欲するところに従いて矩(のり)を踰(こ)えず

礼学

孔子が理想としている周王朝の時代では定まった期日に天地や祖先神、山川の心霊を祭る祭祀儀礼が行われ、天子や葬儀、諸侯や使節の入朝などに関しても儀礼が求められた。このような儀礼を唯一の行動規範と仰ぎ、それに従った行動するように求められた。礼法に服従する限りは人々は自己の主体的な意志や感情は持ち得ない。しかし、周王朝の衰退とともにそのような儀礼が損なわれはじめ、有力な諸侯は儀礼を無視し、好き勝手に対応し始めた。孔子はこのような王朝儀礼の衰退を嘆き、周の礼制を復元することにより、周王朝の弱体化を防ごうとした。

孔子の目的

孔子は、道徳的な理想社会の実現(具体的には周建国の功臣であった周公旦が定めた社会秩序)を夢見た。そのために道により、儀礼的秩序の回復の実現を必要があると考えた。これは、宗教的儀礼を意味した礼に心のあり方である仁の具体的実践としての意味をもたせ、仁と礼が人間と社会の道をつくり上げるものである。

道とは、人間のあるべき規範をさし、「君子」の道を指しめす。孔子は人間の守るべき道徳規範として人倫の道を説いた。周公(周の武王の弟)が定めた礼に従うことによって徳を備えた道徳的人間に育つことが出来るとした。なお、道は、仁(忠、恕、信、孝、悌は仁の現れ方)と礼(仁が実施される形式・社会規範、たとえば、祭祀·法律·制度·文物·習慣)に分かれる。心の内面にある仁が、他者を敬う態度や言動となって礼として現れる。

「忠」・・・自分を欺かないことで純粋な真心
「怒」・・・人への思いやり
「信」・・・他人を欺かないこと
「孝」・・・親につくすこと。孝の文字は置いた親を子が背負う姿を現している。
「悌」・・・兄弟間の愛情

子曰わく、朝に道を聞かば 夕に死すとも可なり。
先生がいわれた。「その朝に真理の道をきくことができたら、夕方に死んでも本望である。」

仁とは、あらゆる徳の根本にあるものと考えられる。人間が身近な親族や仲間に対して抱く親愛の情意(孝悌)を根底として、学問や修養で培われた知を磨くことで実現する忠、恕、信、愛、克己などを総合したものである。 孔子はその実践に重きを置いたため具体的には規定しなかった。弟子や状況に応じて多様な言い回しをもって今日まで伝えている。

「樊遅(はんち)、仁を問ふ。子日く、人を愛すと。」 (『論語」)
樊遅(はんち)が仁を問う、孔子が答えた。人を愛することだ。

「伸弓、仁を問ふ。子日く、門を出でては大賓を見るが如くし、民を使ふには大祭に承ふるが如くす。己れの欲せざる所を人に施すなかれ。邦に在りても怒みなく、家に在りても怒みなし。」 (『論語」)
家の外で会ったときは相手を高貴な客を見るかのように扱い、人民を使役するには、大切な祭に仕えるようにするのだ。自分が欲しないことは、人にしないこと。こうすれば国にあっても怨まれることはなく、家にあっても恨まれることはない。

「顔淵、仁を問ふ、子日く、己れに克ちて礼にかえるを仁と為す。一日己れに克ちて礼に復れば天下仁に帰す。仁を為すは己れに由る、而して人に由らんや。」 (『論語」)
わが身をつつしんで礼に帰るのを仁とする。一日でもわが身をつつしんで礼に帰れば、天下の人はみな仁に帰る。仁を為すのは自分自身によるのであって、どうして人によろうか。

孝悌

孝とは、親子や親族の間の親愛の情を基礎として子が父母や祖先に仕える義務をいう。悌とは年少者が年長者に対して敬意をもって従う義務をいう。孔子は、この孝悌を、仁の根源として家族倫理をつくり、その上に社会倫理、政治倫理を形成した。

「君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝悦は其れ仁を為すの本か。」
根本があってこそ、道というものができる。孝であるということは、仁を為すことの根本である。 (『論語」)

忠恕

忠とは自己の良心に忠実なこと(真心)で、恕は他人の身になって考える同情心(思いやり)である。忠を欠いては自律的道徳は成立しないが、忠だけでは独りよがりになる危険がある。忠と恕が一体となって、はじめて仁となる。

「吾が道一以て之を貫く。曽子日く、唯と。子出づ。門人問ひて日く、何の謂ぞや。曽子日く、夫子の道ば忠怒のみ。」 (『論語」)
わが道は、一つのもので貫かれている。曽子曰く、「はい」」と。孔子が出て行くと、門人たちが曽子にたずねた。どういう意味ですか、と。曽子曰く「先生が説く道は、忠恕のみだ」。

孔子
孔子

信とは、他者に対する誠実な心のこと。人間に対して抱く親愛の情の根本としての仁を実現するためには、自己の忠実な良心としての真心(忠)と他者に対する思いやリ(恕)や嘘をつかないなどの誠実な心(信)などが欠かせない。

克己復礼

克己復礼とは、仁と礼との一体性を示す言葉である。自己のわがままな感情や欲求を抑制して、礼に従うことが仁である。

顔淵、仁を問う。子曰わく、己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己れに克ちて礼に復れば天下仁に帰す。仁を為すは己れに由る、而して人に由らんや。
「顔淵が仁の徳についておたずねした。先生がこたえられた。己にうちかって礼の規則にたちかえることが仁ということである。一日でも自己にうちかって礼の規則にたちかえることができたら天下中の人がこの仁徳になびき集まるであろう。仁徳の実践は自己の力がたよりで、他人の力にたよってできることではけっしてないのだ」

徳治主義

徳治主義とは、為政者の徳による支配を尊重することである。為政者自身が徳を身に着け、それを周りに及ぼして、人民を道徳的に自覚させ導くことを説いた。修己治人(「己を修めて人を治める」)とは、みずからが道徳的修養を積んで、自己の人格を高めて人民を向上させることを意味する。このことは、韓非子が説く法治主義(法の強制による支配)とは対照的である。

中庸

中庸とは、過不足なく平生で常に適切な態度を保つ徳のこと。ものの見方や行動が偏らず適度に中間を保持する。中は過不足のないことで、中庸は平常を意味する。普通の状態のことで、ものの見方や考え方・生き方が偏らないことが徳に通じるとしている。孔子は時と場合に応じてこの徳を実践できる人物を君子と呼んだ。

子貢問う 師と商と孰れか賢れる
子日わく、師は過ぎたり、商は及ばず
日わく 然らば則ち師愈れるか
子日わく、過ぎたるは猶及ばざるがごとし。
子貢がおたずねした。「子張と子夏とどちらがまさっていますか」
先生がこたえられた。「子張はやり過ぎで 子夏は足りない」
子貢が念を押した。「それなら子張のほうがすぐれているというのですね」
先生はこたえられた。「やり過ぎでも足りないでも 適度を失していることでは同じである

孔子の考える知

温故知新「子日く、故きを温めて新しきを知る。以て師と為すべし。」 (『論語」)
過去の歴史や伝統をもう一度考え直して現代に通じる新しい意味を知ることが大切である。

「子日く、学びて思はざれば則ち罔し(くらし)、思ひて学ばざれば則ちあやうし。」 (『論語」)
学んで自分で考えなくては意味はなく、自分で考えても他人から学ばなければそれもまた危うい。

「子日く、由よ汝に知ることを誨えんか(おしえんか)、知れるを知ると為し、知らざるを知らずとせよ。是れ知るなり。」 (『論語」)
君に知るということを教えよう。知っていることを知っているとし、知らないことは知らないとしなさい。これが知るということだ。

君子

君子は、仁と礼を兼ね備えた人間的にも道徳的にも理想的な人間像である。元来は主君に仕える政治の担当者で、位の高い人物を意味した。孔子は知・仁・勇の徳を兼備した人格者を君子とし、その育成を教育目標とした。君子を超えた完全な有徳者を聖人と呼び、古代の皇帝[尭(ギョウ)・舜(しゅん)・禹(う)・湯(とう)・文(ぶん)・武(ぶ)・周公(しゅうこう)]たちを指した。なお、君子の反対が小人(無教善人)である。

「君子は和して同ぜず」

「君子は和して同ぜず」といい、君子は自分を見失わない人格者である。
「和」:自分の意見や主義をもちながらも他者と協調すること
「同」:は表面的に相手に合わせたリつき従うこと

徳治主義

孔子は理想とした政治は君子による道徳政治。孔子は、人民に徳をもってのぞめば人民の道徳的自覚も深まって国は自然と治まると主張し、法治主義を批判した。

子日わく、これを導くに政を以てし、これを斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥なし。これを導くに徳を以てし、これを斉うるに礼を以てすれば、恥ありて且つ格し。
先生がいわれた。「法令によって指導し、刑罰によって規制すると、人民は刑罰にさえかからねば何をしようと恥と思わない。道徳によって指導し礼教によって規制すると、人民は恥をかいてはいけないとして自然に君主になつき服従する」

修己治人

自分自身の道徳的修養を積み自己の人格を完成させ(修己) 、その徳によって人々を感化して治める(治人)という徳治主義を表す。

「子日く、賢を見ては斉しからんことを思ひ、不賢を見ては内に自ら省みよ。」 (『論語」)
賢い人に出会ったらそれを手本とし、愚かな人に出会ったら自分の反省材料としなさい。

「子日く、巧言令色は鮮ないかな仁。」
口先でうまいことだけ言って中身が伴わない人間には、思いやりの心がないものだ。 (『論語」)

怪力乱神を語らず

孔子は、神や神秘、奇跡など超自然的なことについて語らず、現実世界における人生の生き方やあり方を語った。

「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」

現実の人生についてわかつていないのに死後のことなどわかるはずもない。死後の世界など、人間の経験を超えた世界について問題とするよりもまず今ここに生きている事実と、どう生きるかを重視する孔子の現実主義の考え方が表れている。


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