哲学|ソクラテス,アリストテレス,カント他

哲学 Philosophia

哲学は、一般に世界や人生が全体として何であるか、どのような意味や目的を持つ物かという根本的な問題を考える学問である。日常生活で自明の前提とされている一定の世界秩序や価値体系を、それらを自覚的・批判的に問う。
愛知 フイロソフィア(Philosophia)と呼ばれ、 ギリシア語の「知恵(ソフィアsophia)」と「愛している(フィロス philos)」との合成語で、知恵を愛することという意味。この言葉はソクラテスによって作られたと伝えられているが、当時のギリシアの歴史の背景の中で生まれた。最初は、「物を知りたがる(philosophos)」といった意味の形容詞であり、この言葉はギリシャ語に古くからあったphilosophos、philotimosという形容詞から語呂をあわせて作られた言葉である。世界や人生に関する根本的な真 理についての知恵を愛し求めるということである。日本では明治に西周が訳した。アリストテレスは、哲学を「人間はすべて知恵を愛するものである」、「哲学は驚きから始める」とのべ、 世界や人生を驚きの目で見ること が、哲学のはじまりとされた。また、哲学者大森荘蔵は哲学を、「世界を新たに見ること」とした。プラトンアリストテレスをはじめ多くの哲学者が世界や人生についての驚きが、それらの真理についての知恵を愛し求める哲学の出発点になると説いている。

哲学
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目次

  • ソクラテスによる哲学
  • アリストテレスによる哲学
  • ジョン・ロックの哲学
  • カントの哲学
  • 日本おける哲学
  • 三木清
  • ソクラテスによる哲学

    ソクラテスによって知を愛することとされたが、ソクラテスにはプラトンが『饗宴』で描いた独特の愛がある。愛するということは必ず“なにか”を愛することであり、そのなにかを欲し我がものとする者である。従って、愛知者とは、今は知がないもの、無知なものであり、無知であるがゆえに、知を愛し欲し我がものとしようとする者である。これはソフィストとの論争の中、「無知の知」というソクラテス独自の態度から生まれたと考えられる。ソクラテスにおける哲学(愛知)は、現在使われる哲学(愛知)とは意味が違うことに注意しなければならない。

    アリストテレスによる哲学

    ソクラテスの弟子であるアリストテレスは哲学においてにおける議論の中で、「第一哲学(プローテー・フィロソフィア)」という言葉が使われ、愛知というよりは、学問というニュアンスが含まれている。また、哲学は驚きから始まる、と述べ、知を探究すること、愛することの原点を述べた。

    たしかに、驚くことによって人間は、知恵を愛求(哲学)し始めた。初めには、ごく身近の不思義な事柄に驚き、少しずつ進んで遙かに大きな事象についても疑いをいだくようになった。月のさまざまな姿や太陽や星の状態について、全宇宙の生成についても疑いをいだくようになった。(アリストテレス)

    ジョン・ロックの哲学

    ジョン・ロックは、我々の知識への道をふさいでいるゴミクズをいくらか片付けて-少しばかり地面をきれいにしなければならない-下働き、とした。

    カントの哲学

    カントは「人は哲学を学ぶことはできない、哲学することを学ぶだけである」といい、哲学とは、単に過去の哲学の知識や歴史を学ぶものではなく、みずからの理性を使い、真理を探究する行為を指す。

    日本おける哲学

    多くの日本の哲学者の間で、「フィロソフィア」を愛知と訳さず哲学という言葉で訳したことに違和感を示すことが多い。哲学という言葉は、明治初年に翻訳語として日本に登場し、この訳語は西洋哲学を研究していた西周によって作られた。石州津和野出身の西周は、「蕃所調所」に勤務し、日本で最初の西洋哲学の講義を行った。その講義では、ソフィストは「賢哲」という意味であり、それに対してソクラテスは「賢哲を愛する人」という意味で、自らフィロソフォスと名乗ったと紹介した。ここで注意しなければならないのは、西周はすでに儒家に親しんでおり、宋代の儒家周敦頤が『通書』のなかで「士希賢」(士は賢を希う)と同じ言葉と考えた。しかしこの「士希賢」は儒教の影響を考えたため、「賢」という同じ意味の「哲」という言葉を使い、「希哲学」(フィロ=希、ソフィア=哲)としようとしたが、その後「希」という言葉を削って哲学という言葉を定着することになる。

    三木清

    哲学とはなにか。現実は我々に対してあるというよりも、その中に我々があるのである。我々は、そこにうまれ、そこで働きそこで考え、そこで死ぬ。我々に対してあるものは哲学の言葉で対象と呼ばれている。現実は対象であるよりも、むしろ我々がそこに立っている足場であり、基底である。・・・科学は現実を対照的に考察する。しかるに現実が足下から揺るぎ出すのを覚えるとき、基底の危機というものから哲学は生まれる。(『哲学入門』三木清


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