人間 human being
人間(にんげん、英: human being)とは動物とは異なる人類全般を示す。多くの生物学者や哲学者、歴史学者などによって規定されてきたが、その多くは理性や知性を保有する動物として理解されることが多い。なお、人間を人間たらしめる性質を人間性(humanity)や人間の本性と呼ばれる。人間性を持つことが人間と動物の違いである。
ゾーンポリティコン(アリストテレス)
古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、『政治学』の中で人間はポリス的動物であると述べた。古代ギリシアでは、人間は、知性・理性(ロゴス)をもつことによって、他の動物と決定的に異なると考えていた。そしてアリストテレスは人間が社会(ポリス)との関係の中で存在していることに着目した。
ホモサピエンス(リンネ)
18世紀のスウェーデンの生物学者リンネは『自然の体系』の中で人間を知恵のある人・知性人・叡智人を意味するホモ・サピエンスと述べた。われわれの祖先である現世人類につけられた学問上の名称になっている。人間は他の動物に比べて、理性的な思考をするところに人間としての特質があるとする人間観であり、もっとも一般的に知られている定義である。
ホモファーベル(ベルクソン)
フランスの哲学者ベルクソンは、人間は自然にはたらきかけて物をつくリ、環境を変えていく存在であり、工作人という意味で、ホモ-ファーベルと規定した。(『創造的進化』)人間の理性を、何よりも道具の製作をめざすものであるととらえたためである。
ホモルーデンス(ホイジンガ)
オランダの歴史学者ホイジンガ(1872-1945)は、人間は遊びの中で文化を創造する存在としてホモルーデンスと名付けた。(『ホモ-ルーデンス』)人間の理性は「遊び」を通して発達したと考えるその歴史過程からである。たとえば、キリスト教が浸透していた注背ヨーロッパでも民族的背景を基盤とした文化が存在し、そこから成熟していったが、最初の文化的行為は遊びであった。
ホイジンガの遊びの特徴
ホイジンガはすべての文化は遊びであるが、その特徴は次の3点が上げられる。1つは自由であること。2つ目は非日常で仮構の世界であること。3つ目は場所や時間に限定性があり、秩序がもったものであることである。ホイジンガはこのような遊びに基づき、人間の文化は遊びにおいて、遊びとして成立・発展したと述べている。
かくてここに、遊びの第一の主要特徴がとらえられる。それは自由なものであり、自由そのものである。そこから直ちに第二の待徴が続く。遊びは「ありきたりの」生活でもなく、「本来の」生活でもない。そこから一歩踏み出して独自の性格をもった活動の仮構の世界に人るのが遊びだ。
遊びはありきたりの生活から場所と継続期間によって区別される。この閉ざされた性格、つまり場所的、時問的限定性に遊びの第三の特徴がある。それはある定められた時間と場所の範囲内で「遊びに切りをつける」のだ。遊びは遊び自体の中にそれなりの筋道とそれなりの意味をもっている。
ホモ-エコノミクス(アダム=スミス)
アダム・スミスは、『国富論』の中で経済人としてホモ・エコノミクスと名付けた。
アニマルシンボリクム(カッシーラー)
ドイツの哲学者カッシーラーは、動物とは異なり、人間を言葉を操る動物である表現しており、いろいろな意味をシンボル化(言語化)することができると述べた。そこでシンボルを介して世界を理解し、文化、芸術や宗教をつくり出す存在として象徴的動物、アニマルシンボリクムと名付けた。(『人間シンボルを操るもの』)カッシーラーは理性の特徴を、物質ではなく、抽象的なものに向かうことにあるとし、人間は感覚と運動によって世界にはたらきかけるだけでなく、シンボル(象徴)によって世界をとらえることができるその能力に着目したことからである。このシンボル化によって言語・科学・芸術を発展させ、人間を動物から大きく区別させた要因であるとした。
『人間』カッシーラーからの引用
人間は,「物」それ自身を取り扱わず、ある意味において、つねに自分自身と語り合っているのである。・・・人間は固い事実の世界に生活しているのではなく、彼の直接的な必要および願望によって生きているのではない。彼は、むしろ想像的な情動のうちに、希望と恐怖に、幻想と幻滅に、空想と夢に生きている。エピクテトスはいった、「人問を不安にし、驚かすものは『物』ではなくて、『物』についての人間の意見と創造である」。I
理性という言葉は、人間の文化生活の富にして多様な形態を了解せしめるには、はなはだ不完全な言葉である。しかし、あらゆるこれらの形態はシンボル的形態である。だから、人間をanimal rationale (理性的動物)と定義する代りに、animal symbolicum (シンボルの動物-象徴的動物)と定義したい。
このように定義することによって我々は人間の特殊の差異を指示できるのであり、人間の前途にひかれている新たな道-文明への道-を理解しうるであろう。
中間者(パスカル)
17世紀フランスの哲学者パスカルは必ずしも人間は理性だけで自分を律することができない、しばしば理屈に合わない行動をとり、犯罪を犯すことに着目し、相反する方向の中に人間の本質を模索し、人間を、宇宙における偉大と悲惨との「中間者」である、と述べた。
ドストエフスキー
19世紀後半のロシアの文学者ドストエフスキーは理性を万能とする考え方を否定し、自己の内面の矛盾を見つめる近代的な人間の苦悩を描いた。『罪と罰』や『カラマゾフの兄弟』が代表作である。
ホモ=レリギオースス(宗教人)
ホモ=レリギオーススとは、人間を宗教という文化を持つ動物であると規定する。人間は自分たちがどこから来て、どこへ行くのかという本質的な疑問を抱え、自分たちを超えた超越的な神や力にその眼差しを向ける動物である。