小林秀雄|文芸評論,批評という新しい文学の確立

小林秀雄

小林秀雄は、昭和期の文芸評論家で日本の近代批評を確立する。主著は『無常ということ』、『考えるヒント』、『本居宣長』である。東京出身。父はベルギーで学んだ技術者で、幼いころから西洋的な洗練された知性環境の中で育った。東京帝国大学(現東京大)在学中に『様々なる意匠』を発表し、『文藝春秋』に評論を連載する。その後、川端康成らとともに文学界を創刊し、日本古典、外国文学、歴史、絵画、音楽など各分野にわたり、批評という新しい文学を確立した。また、ランボーの詩をはじめとしてフランス文学の翻訳も多い。彼は芸術家の直観がとらえた生そのものを哲学的思索においてとらえ直すことを試み、各人が真摯に生きていることから創造されるものが真に主体的な思想であるとした。また、イデオロギーを優先させて生のダイナミズムを見失った近代思潮の欺瞞性を批判した。

小林秀雄の生涯

1902年東京に生まれた。1928(昭和3)年、東京帝国大学仏文科卒。高校時代に小説を、大学時代にはランボウ論などを書く。1929年、雑誌『改造』の懸賞評論に『様々なる意匠』が入賞、30年から『文藝春秋』に文芸時評を連載。批評家となり、33年に川端康成らと『文学界』を創刊する。37(昭和12)年、日中戦争が勃発すると中国に渡り現地報告を行うとともに、西欧とも中国とも異なる日本文化の伝統に関心を深め、戦時色が深まる中で文化の荒廃を感じ、日本の古典・古美術を研究、のちに随筆集『無常といふ事』にまとめた。戦後、『モオツァルト』など芸術家の作品や伝記を題材に取りあげた一連の評論を発表。また現代文明を批判した『考えるヒント』は広く読まれた。77(昭和52)年10年余りにわたり連載をつづけた『本居宣長』を出版、古人の精神をたどり、晩年の代表作となった。67年に文化勲章を受賞。1983年死去する。

批評

小林秀雄は当代の日本思想・理論を流行の「意匠」に過ぎないと喝破した。小林秀雄の批評とは、芸術家の直観がとらえた生の直接的な手応えの中に真の思想の断片を見ることであった。それを哲学的思索で言語化するのが「批評」であり、この新しい思想スタイルを高らかに声明した。小林秀雄は、これまで文芸作品に付随する存在であった批評を、文学や思想表現のジャンルとして独立させることに貢献した。

芸術家達のどんなに純粋な仕事でも、科学者が純粋な水と呼ぶ意味で純枠なものはない。彼等の仕事は常に、種々の陰翳を擁して豊富である。

かうして私は、私の解析の眩暈の末、傑作の豊富性の底を流れる、作者の宿命の主調低音をきくのである。この時私の騒然たる夢はやみ、私の心が私の言葉を語り始める、この時私は私の批評の可能を悟るのである。

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