フランクフルト学派|反ファシズムの思想,哲学

フランクフルト学派

1930年代にドイツのフランクフルトの社会研究所に集まって研究をした学者たち。ホルクハイマーが初代の所長となったが、その後、彼らはナチスに追放されて外国に亡命認し、戦後帰国して1950年に研究所を再建した。既存の社会を支配する思想を批判し、その矛盾を明らかにする批判理論を展開し、ファシズムの野蛮行為や管理社会における人間の一元的支配を批判した。
その第一世代に、テオドール・アドルノ、ヘルベルト・マルターゼ、レオ・レーヴェンタール、エーリヒ・フロムヴァルター・ベンヤミン、フランツ・ノイマン、フリードリヒ・ポロック、第二世代に、ユルゲン・ハーバーマスやアルフレート・シュミットがいる。

マックス・ホルクハイマー

マックス・ホルクハイマー

マルクス思想の理論としての社会批判的機能

フランクフルト学派は当時、メルロ・ポンティが西欧マルクス主義の一派と言ったように、マルクス主義の派生の位置づけられる。おもにマルクス主義が素朴な経済決定論にもとづいた資本主義から社会主義への発展法則を実証的研究であったが、これにたいして、フランクフルト学派は、マルクス思想の「理論としての社会批判的機能」を重視し、自分たちの理論を「批判理論」と称した。

批判論理

批判論理とは、既存の社会を支配する思想を批判し、その矛盾を明らかにする理論といい、フランクフルト学派は基本思想となる。現代社会で主流となっている実証主義や科学主義は、現実を分析するだけで、現実をこえる理念の視点を持たないために、既存の政治的・社会的枠組みの中に組み込まれて、現実を批判する力を失っている。批判理論は、理性の批判的働きを通して現実と対決し、現実の矛盾点をあばいて克服する。フランクフルト学派の批判理論は、20世紀の新たな野蛮であるファシズム(全体主義)や、非人間的な管理社会を批判した。

人文・社会学との対話

批判理論は、資本主義の発展の中で、マルクスがそうしたように疎外され、物象化された人間の虚偽意識を取り除くことを目標とした。人間こそが歴史の主体であることを自覚させるようとした。そのため、フランクフルト学派はマルクス主義と人文・社会科学(社会学、心理学、文学、芸術メディア)との対話を展開した。

ナチスドイツ

フランクフルト学派のほとんどの構成員がユダヤ人であったため、ヒトラーが政治権力をもつと、社会研究所はジュネーヴ、パリ、そしてアメリカ合衆国に亡命を余儀なくした。亡命した多くのフランクフルト学派の研究者たちは、なぜ文明社会が野蛮なナチズムと反ユダヤ主義を阻止できなかったかということに向かっていった。フロムは、マルクス主義フロイトの精神分析の総合を企てる『自由からの逃走』を出版し、フランツノイマンは『ビヒモス』、アドルノとバークレイらの『権威主義的パーソナリティ』を出版した。

批判的理性

批判的理性とは、既存の社会を支配する思想的な枠組みを批判し、その矛盾を明らかにする働きをする理性である。道具的理性が社会の既存の価値体系に組み込まれ、いかなる目的にも奉仕する道具や手段であるのに対して、批判的理性は、自明にとなっている既存の社会の思想的枠組みと対決し、その矛盾を暴く。

道具的理性

道具的理性とは、一定の目的を実現するための手段や道具としての理性である。理性は、本来は人間のめざす理想や価値を示し、生活の指導原理となるものであったが、近代の産業社会の進展とともに、理性は一定の目的に対する手段を判断し、もっとも効率的に目的を達成する方法を計算する道具になってしまった。技術的な手段を考える計算的・操作的な道具的理性は、産業社会の利益獲得のために、さらにファシズムの侵略政策や核兵器の開発にさえも奉仕する。

理性中心主義に対する批判

理性は、人類に共通する普遍的な思考能力であり、理性が発展すれば、人類は普遍的真理に到達するという考え方。17~18世紀の啓蒙思想は、理性万能主義のもとに歴史の進歩と人類の福祉を説いたが、第二次世界大戦のファシズムや核兵器の使用などの新たな野蛮の出現や、地球規模の環境破壊の危機などによって、そのような楽天的な理性万能主義は修正を迫られ、フランクフルト学派などの現代の思想家は、理性の意義を見直す必要性を説いた。

野蛮

野蛮とはフランクフルト学派の重要用語で、ファシズムや戦争などの暴力性の根源である、とした。古代の神話に基づいた世界観は、近代、理性に基づいて考えることを重視した啓蒙主義によって退けたかのようにみえた。しかし、神話にある野蛮は、ファシズムや戦争などの反文明的な暴力性となって理性の世界に回帰したとし、理性中心主義を批判した。
理性は、人間を自然から解放したかのように見えた。しかし、人間も自然の一部であることを逃れることはできず、科学・技術によってコントロールしようとしすぎたとき、人間の感情や欲望などの内なる自然が過剰に抑圧されたとき、自然は野蛮な反文明的現象として噴出し、啓蒙された文明は新しい野蛮に逆もどりする。それがファシズムや戦争の根底にあるとした。フランクフルト学派のホルクハイマーアドルノは、悲しい歴史を繰り返さないために、理性と自然との破壊的な対立関係をこえて、抑圧された自然の声を聞き取りながら、理性と自然の和解をめざす方向を示唆した。

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