トリノ|サヴォイア家ゆかりの工業都市

トリノ

トリノはイタリア北西部ピエモンテ州に位置する都市で、アルプス山脈の麓に広がる政治・軍事・産業の中心地である。とくに近代史においては、サヴォイア家が支配したピエモンテ=サルデーニャ王国の首都として成長し、1861年のイタリア統一後には最初の首都となった都市として知られる。古くから街路が碁盤目状に整備された計画都市であり、王宮・広場・教会などが集中する歴史地区は、イタリア国家形成の舞台として重要な意味をもっている。

地理的環境と都市構造

トリノはポー川とドラ川の合流点近くに位置し、アルプスに通じる交通の要衝である。この地理的条件により、軍事的拠点としてだけでなく、フランスやスイスとイタリア半島を結ぶ交易路の結節点としても発展した。街区はローマ時代の植民市に由来する格子状の区画を基礎としており、広い大通りとポルティコ(柱廊)を備えた近世都市の景観が現在も残されている。

サヴォイア家と中世・近世のトリノ

中世には、のちにイタリア王家となるサヴォイア家がアルプス周辺で勢力を伸ばし、15世紀末以降、政庁をトリノに移すことでこの都市を自らの政治的中心とした。16~18世紀にかけて、要塞化と宮殿建設が進められ、王宮や宮廷教会が並ぶバロック都市として整備されていく。こうした過程でトリノは、地方都市から君主国家の首都へと性格を変え、軍事・財政・行政の中枢機能を集約する近世国家の拠点となった。

サルデーニャ王国の首都としての発展

18世紀後半以降、サヴォイア家はサルデーニャ島の獲得を通じて称号を高め、ピエモンテを基盤とするサルデーニャ王国を形成した。その首都トリノには、官庁や軍学校、大学などの諸機関が集中し、近代的な行政・法制度が整備されていく。ナポレオン時代の支配とその後の復古を経て、19世紀前半には自由主義的改革の拠点ともなり、憲法制定や議会政治の導入が進められた。

イタリア統一運動とトリノ

19世紀半ばのイタリア統一運動において、トリノは政治的指導センターとして決定的な役割を果たした。国王ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世と首相カヴールはこの都市を拠点に外交と軍事を展開し、プロンビエール密約やイタリア統一戦争などを通じて統一を推し進めた。ガリバルディによる南部遠征や中部イタリア併合の進展により、1861年にイタリア王国が成立すると、その最初の首都としてトリノが選ばれたことは、ピエモンテ主導の統一を象徴する出来事であった。

首都移転とその影響

しかし、新生イタリア国家の統治上の観点から、統一後まもなく首都は中部のフィレンツェ、さらにローマへと移された。首都機能の喪失はトリノに経済的な打撃を与えたが、一方で行政・軍事中心から産業都市への転換を促す契機ともなった。官僚や貴族の一部は離れたものの、大学や研究機関は残り、知識と技術の蓄積が後の工業化の基盤となる。

産業都市トリノと近現代史

19世紀末から20世紀にかけて、トリノは機械工業・自動車工業を中心とする産業都市として急速に発展した。とくに自動車メーカーの成長により、多数の労働者が周辺地域から流入し、大規模な労働者街区が形成された。第一次世界大戦・第二次世界大戦期には軍需生産の中心のひとつとなり、戦後には労働運動や社会運動の舞台としても注目されるようになる。

文化・教育と都市アイデンティティ

トリノには歴史ある大学や博物館が集まり、政治・軍事だけでなく文化・学術の中心都市としても位置づけられている。王宮地区や大通り、近代的工場群が同じ都市空間に共存する景観は、地方都市から君主国家の首都、さらに産業都市へと重層的に変化してきた歴史を物語るものであり、イタリア近現代史を理解するうえで欠かせない地域となっている。