ジャン=ポール・サルトル|実存は本質に先立つ

ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル Jean-Paul Charles Aymard Sartre

サルトル(1905年~1980年)はフランスの文学者、哲学者である。主著は『実存主義とはなにか』、『存在と無』、『弁証法的理性批判』。フランスにおける実存主義者の提唱者。哲学に置いては、フッサール現象学「意識は常になにもかの意識である。」をよりどころとしている。フッサールが事物の本質を把握しようとしたのに対し、サルトルは生の存在に関わる意識の根本構造として捉えている。意識は、超越的な対象に向かっており、志向性を根拠として意識と存在との相関関係を意識における存在の現象を記述し、分析する。
実存主義としては、サルトルは他の事物がその本質により価値をもつのに対し、人間は存在すること自体に価値を有するとして、「実存が本質に先立つ」と述べた。人間はいつでも自らを創造し、何かに向かって自らを選択していくものなのである。そこに人間の自由があり、自由であるからこそ、自らをつくり上げる決断において、不安や孤独を乗り越え、自己責任の下に生きなければならない。主体的自由に生きる時、その人生は他の人の人生、社会、人類と関わるのである。

サルトル

サルトル

サルトルの生涯

1905年フランスのパリに生まれたサルトルは、2歳で父を亡くし、母方の祖父のもとで養育された。1924年、19歳でパリの高等師範学校に入学し、生涯の伴侶ボーヴォワールと出会い、メルロ =ポンティとともに学んだ。卒業後は国内の各地で高等中学(リセ)の教師を務め、1933年、28歳でベルリンへ留学し、フッサールハイデガーのもとで現象学を学んだ。
第二次世界大戦が始まるとナチス・ドイツへのレジスタンスに参加し、ファシズムに抵抗した。戦後はメルロ=ポンティらと雑誌の刊行にかかわり、著述家としてのみならず、反核・平和運動や政治運動にも思想家として参加した。また、学問だけではなく、小説家、劇作家、映画脚本家など幅広い才能を発揮した。晩年はマルクス主義に傾倒する。

存在論

サルトルはまず二つの異なる存在領域を区別する。一方は、即自あるいは即存在と呼ばれる。即自とは事物の存在であり、意識を含む世界の存在である。『「存在はある」、「存在はそれ自体においてある」、「存在はそれがあるところのものである」、「それがあるところのであり、それがあらぬところのものであらぬような存在」』要するに単にあるものである。一方、対自あるいは対自存在である。これは意識であり、これこそが実存である。対自のあり方(人間の実存の仕方)は意識が常に何ものかに裂け目を作り出す。「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるような存在」即自存在の面からみると、充実した存在の中に偶然的に生じた空虚な穴、あるいは、無のようなもので、対自は無化作用に基づいて即自を限定し、意味づけることによってひとつの世界を成り立たす。その意味では、対自は即自に対し優越している。

意識

意識は絶えず存在の中に無を散らす。このことは人間の自分自身に対して否定的に関係し、自己自身との間に無を介入させる。したがって、意識化された自己、現在としての自己を否定し、いまだあらぬ自己になるべく、未来へと投企することである。それゆえ、人間にとっては時間性が重要な意味を持つ。実存主義は人間の自由を最大限に強調するが、サルトルが自由を根拠付けるのは対自の無化作用と未来への投企によってである。サルトルの実存的自由は選択という形をとる。人間は絶えずすべての可能性から決断し、行為しなければならない。「人間は自由であるように断罪されている。」のである。

サルトル

サルトル

アンガージュ

「具体的状況の中で未来への投企をなす人間の自由」をアンガージュという。投企するとは、あるひとつの状況の中に自己を投入して、そこに自己を拘束することである。自己拘束は、人間の自己実現のあり方であり、主体的人間のあり方である。他方、それは自分が今ある状況から、自己を解放する自己解放である。人間としてあり、絶えざる投企、自己拘束として生きる。
「アンガージュマン」は「アンガージュ」の名詞で「社会参加」を意味し、人間は自分をとりまく状況の中で、人類全体に何らかの影響を与えるという意味において、自己の自由な意志決定・態度決定に関して責任をもたねばならない。

「実存は本質に先立つ」

「実存は本質に先立つ」とは、人間は、まず実存し、自らの投企、行為によって自己を形成し、自らの本質を自ら作ることを意味している。人間の意識の対象は自己の生への関心を示す事柄で占められておリ、自己はその「何か」に対して、自己の生への関心に基づき、一つの価値観を選択し、どういう態度をとるかを自分の意志で決め、何事かを企図する投企的存在である。

「人間は自由の刑に処せられている」

実存主義の中で生きるためには人間は常に自由でなければならない。サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と述べ、自由は人間を不安に陥らせるとともに、投企に対しては責任を伴うことを強調した。

『実存主義とはなにか』サルトル1

たとえ神が存在しなくても実存が本質に先立つところの存在、なんらかの概念によって定義されうる以前に実存がすくなくともひとつある。実存が本質に先立つとは、この場合なにを意味するのか。それは人間はまず先に実存し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿をあらわし、そのあとで定義されるものだということを意味するのである。実存主義の考える人間が定義不可能であるのは、人間は最初は何者でもないからである。人間は後になってはじめて人間になるのであり、人間は自ら造ったところのものになるのである。このように人間の本性は存在しない。その本性を考える神が存在しないからである。

『実存主義とはなにか』サルトル2

・・・実存が本質に先立つものとすれば、人間はみずからあるところのものに対して責任がある。したがって実存主義の最初の手続きは、各人をしてみずからあるところのものを把握せしめ、みずからの実存について全責任を彼に負わしめることである。

『実存主義とはなにか』サルトル3

われわれが人間は自らを選択するというとき、我々が意味するのは各人がそれぞれ自分自身を選択するということであるが、しかしまた、各人は自らを選ぶことによって、全人類を選択するということをも意味している。

サルトル

自由

では、自由とは何だろうか。サルトルは一方で、自由の不可避を説きつつ、他方で自己の自由の放棄の態度を自己欺瞞として非難する。不可解な未来への選択の自由は、不安と責任をもたらすため、人間は自由の逃避を行う。また自己拘束は、必然的に他者を伴わざる終えない。人間は自由を放棄することによって不安から逃れ、安定を得ようとする。実存するということは、自己の存在欠如を充たして何ものかであることを欲する存在欲求として実存する。しかし、人間は生きている限り、決して即自として存在することはできないのであり、生きるべきである。

自由の刑

サルトルの「自由」とは求められるべき理想でもなければ、人間の本質でもない。それは人間のあリ方そのものなのである。人間は自由以外のあり方はできない。人間は自己の選択に対して全面的な責任があり、そこから逃れることはできない。その意味で「自由の刑に処せられている」のである。

即自存在、対自存在、対他存在

なお、即自存在、対自存在に加えて対他存在がある。これは要するに自己と他者との関係である。サルトルは対他関係を克服しがたい対立という厳しい緊張関係においてとらえる。他者とは私のまなざしを向けているのである。まなざしとは、相手を対象化する意識作用である。対象化すること、即自することに他ならない。すなわち、他者からのまなざしは、対自としての私が即自化することであり、これは私の自由の剥奪である。他者のまなざしは、私の自由な主体性の喪失として、私の他有化として経験される。

『嘔吐』

『嘔吐』(1938)。主人公ロカンタンが公園のマロニエの木の根っこを見て、世界の存在がまったく偶然で、無意味で、醜悪なものであることを発見する。ここに偶然の世界にただ生きる実存の姿が表現されている。

『存在と無』

『存在と無』(1943)は、戦後、フランスの思想に大きな反響をよび、実存主義が主流となる。人間は常に将来の可能性に向かって開かれた自由な「対自存在」であり、人間の自由を拘束する道徳的・宗教的権威を否定する、無神論的実存主義を説いた。

『実存主義とは何か』

『実存主義とは何か』(1946)はサルトルの講演と討論をまとめた。実存主義について書かれている。「実存は本質に先立つ」というサルトル実存主義の基本思想を容易な言葉で解説した。また、実存主義が人間の自由を尊重するヒューマニズム(人間主義)の思想であることを主張している。

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