石油危機|原油高騰が招いた世界経済の混乱

石油危機

石油危機は、産油国が原油の供給を絞ったり大幅に値上げしたりしたことで、石油輸入国の経済が混乱した出来事を指す。1973年の第一次と1979年の第二次の2度起きており、「オイルショック」とも呼ばれる。エネルギーの大半を輸入石油に頼っていた日本では物価が急騰し、戦後続いた高度経済成長が終わるきっかけになった。製造業にとっては、省エネルギー技術と燃料多様化へ大きく舵を切る転機でもあった。

安価な石油に支えられた1960年代

1960年代の原油価格は1バレルあたり2ドル前後で、きわめて安かった。この安い石油が先進国の工業化を支えていた。日本では石炭から石油への「エネルギー革命」が進み、1973年度には一次エネルギー供給に占める石油の割合が約77%に達している。しかも輸入原油の8割近くが中東産であった。重油は工場のボイラーや火力発電の燃料に使われ、ナフサは石油化学コンビナートで樹脂や合成繊維の原料になった。当時、価格を決めていたのは国際石油資本(メジャー)である。ただ、1960年に結成されたOPEC(石油輸出国機構)が少しずつ発言力を強めていた。

第一次石油危機(1973年)

1973年10月6日に第四次中東戦争が始まると、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)はイスラエルを支持する国への禁輸と段階的な減産を打ち出した。同じ月、OPEC加盟のペルシャ湾岸6か国は原油公示価格を一方的に引き上げる。1バレル約3ドルだった価格は、1974年1月には11.65ドルと約4倍になった。日本は当初「非友好国」として扱われかけたが、政府はアラブ寄りに中東政策を見直し、友好国としての扱いを求めた。

狂乱物価とトイレットペーパー騒動

国内では便乗値上げが相次ぎ、1974年の消費者物価は前年比で23%を超えて上がった。当時の福田赳夫蔵相がこれを「狂乱物価」と呼び、この言葉が定着した。1973年11月には大阪・千里ニュータウンのスーパーでトイレットペーパーの買い占めが起き、洗剤や砂糖にまで広がっている。政府は石油緊急対策要綱を閣議決定し、ネオンサインの消灯、深夜テレビ放送の休止、ガソリンスタンドの日曜休業などを要請した。1974年度の実質経済成長率は戦後初のマイナスとなった。

第二次石油危機(1979年)

1979年1月のイラン革命で、イランの石油生産は大きく落ち込んだ。1980年にはイラン・イラク戦争が始まり、OPECは値上げを重ねる。指標原油アラビアンライトの公式販売価格は、1978年末の12.70ドルから1981年10月には34ドルまで上がった。上昇幅は第一次を上回ったにもかかわらず、日本経済への打撃は比較的小さかった。第一次の経験から省エネと備蓄が進んでいたこと、日本銀行が早めに金融引き締めに動いたことが理由として挙げられる。

項目 第一次石油危機 第二次石油危機
発生年 1973年 1979年
主な契機 第四次中東戦争、OAPECの減産・禁輸 イラン革命、イラン・イラク戦争
原油価格の推移(1バレル) 約3ドル→約12ドル 約13ドル→34ドル
日本の消費者物価上昇率(ピーク) 約23%(1974年) 約8%(1980年)
日本経済への影響 戦後初のマイナス成長 成長率の鈍化にとどまる

製造業はどう変わったか

最も大きな打撃を受けたのは、エネルギーを大量に使う素材産業である。鉄鋼業では、鋼塊をつくって再加熱する工程を省ける連続鋳造への切り替えが加速した。高炉の炉頂圧で発電する炉頂圧回収タービン(TRT)や、赤熱コークスの顕熱を回収するコークス乾式消火設備(CDQ)も広く普及している。アルミ製錬は電力コストの上昇に耐えられず、国内の製錬能力は1980年代に急速に縮小した。反対に自動車産業にとっては追い風となり、燃費のよい日本の小型車が米国で販売を伸ばした。工場単位では、次のような対策が定着していった。

  • ボイラー燃料を重油から液化天然ガス(LNG)や石炭へ転換する
  • 蒸気配管の保温を強化し、スチームトラップを定期的に点検する
  • 排熱ボイラーで廃熱を回収し、コージェネレーションを導入する
  • ポンプやファンをインバーター制御にして電力を削減する

樹脂価格とナフサ連動の商慣行

石油危機以降、樹脂の取引ではナフサ価格の変動を販売価格に反映させる考え方が広がった。現在も、ポリエチレンやポリプロピレンなどの汎用樹脂は、国産ナフサ基準価格に合わせて四半期ごとに価格改定されることが多い。成形加工メーカーにとって、原料高をどのタイミングで製品価格に転嫁できるかは収益を大きく左右する。見積書に「ナフサ連動条項」を入れるかどうかは、今も購買と営業の交渉でよく争点になる。

省エネ法と石油備蓄制度

国際的には、1974年に先進消費国が国際エネルギー機関(IEA)を設立し、加盟国に石油純輸入量の90日分の備蓄を求めた。日本では1975年に石油備蓄法が制定され、石油会社などに一定日数分の在庫保有が義務づけられた。1978年には国家備蓄も始まり、現在は民間備蓄・国家備蓄・産油国共同備蓄を合わせて200日分を超える量が確保されている。1979年には「エネルギーの使用の合理化に関する法律」(省エネ法)が施行され、一定規模以上の工場はエネルギー管理者を選任しなければならなくなった。同じ時期に原子力発電や天然ガスの導入で電源の多様化も進み、一次エネルギーに占める石油の割合は2010年代に40%前後まで下がっている。工場に配置される「エネルギー管理士」は、石油危機が製造業に残した具体的な遺産の一つといえる。

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