平和についての布告|即時停戦と無併合を要求

平和についての布告

平和についての布告は、1917年の十月革命直後に成立したソヴィエト政権が発した対外政策上の最初期の文書であり、第一次世界大戦を即時の講和と無併合・無賠償の原則によって終結させることを世界に訴えた公的宣言である。この布告は、レーニン率いるボリシェヴィキが戦争継続に反対してきた立場を制度化し、新しいソヴィエト=ロシアの外交路線を示す転機となった。

歴史的背景

平和についての布告が出される前、ロシアは1914年以来第一次世界大戦に参戦し、膨大な戦死者と経済的疲弊に苦しんでいた。戦争終結を求める民衆の要求は高まり、1917年2月の革命後に成立した臨時政府も対独戦争を継続したため、前線兵士や都市労働者、農民の不満は解消されなかった。このような状況の中で、戦争反対と即時講和を主張するボリシェヴィキの訴えは、ペトログラードやモスクワのソヴィエトを通じて急速に支持を拡大していった。

布告の採択と形式

平和についての布告は、十月武装蜂起の直後に開催された全ロシア=ソヴィエト会議第2回大会において、レーニンが提出した草案に基づいて採択された。布告は、世界の交戦諸国政府と諸民族に向けた公文書の形式をとり、新政権が旧帝政や臨時政府とは異なる原理に立つことを国際社会に宣言したものであった。同時に採択された土地に関する布告と並び、新政権の性格を象徴する基本文書と位置づけられる。

内容と基本原則

平和についての布告の中核は、「無併合・無賠償・民族自決」に基づく民主的講和の提案である。布告は、いかなる領土併合も、また戦敗国に対する賠償金の強要も否定し、戦争によって支配下に置かれた民族には将来の自己決定権を保障すべきだと主張した。さらに、旧政権が締結した秘密条約を批判し、外交の公開と外交文書の公表を掲げることで、近代ヨーロッパ外交の慣行そのものに異議を唱えた。

  • 無併合の原則(征服地の放棄)
  • 無賠償の原則(戦争賠償金の否定)
  • 民族自決の承認(被支配民族の独立・離脱の権利)
  • 秘密外交の廃止と条約の公開

秘密外交批判と条約公開

布告はとくに旧ロシア帝国と協商国とのあいだで結ばれた秘密条約を問題視し、それらを公開する意図を明示した。この姿勢は、列強による植民地分割や勢力圏調整を前提とする伝統的な外交を否定し、公開性と大衆の監視を条件とする新しい外交像を打ち出すものであった。その後、ソヴィエト政府は帝政期の秘密条約を暴露し、なかでも中東分割に関する協定はロシア革命と世界世論に大きな衝撃を与えた。

国際的反応とブレスト=リトフスク条約

平和についての布告は、全交戦国に対する停戦交渉の呼びかけであったが、協商国・同盟国の政府はいずれもボリシェヴィキ政権を正式な交渉相手として認めず、直ちに総合講和が実現することはなかった。その結果、新政権は単独講和へと傾斜し、中央同盟国とのあいだでブレスト=リトフスク条約を締結するに至る。この単独講和は領土割譲を伴い、国内の一部勢力から強い反発を招いたが、布告が掲げた「戦争終結」の約束を一定程度実現するものでもあった。

国内政治への影響

平和についての布告は、前線からの離脱と兵士・労働者への具体的な和平の約束として受け止められ、ボリシェヴィキ政権の正統性を高める効果を持った。戦争終結を最優先課題とする姿勢は、飢餓やインフレに苦しむ都市住民や農民の期待と結びつき、ソヴィエト権力の基盤を拡大させた。他方、講和条件の受け入れをめぐっては、党内外に路線対立が生じ、後の内戦や対外政策をめぐる議論の伏線ともなった。

歴史的意義

平和についての布告は、単なる戦争終結の要求にとどまらず、帝国主義戦争批判と民族自決の尊重を結びつけることで、20世紀の国際政治における新しい理念を提示した文書である。布告の掲げた原則は、その後のソヴィエト外交や植民地解放運動、国際的な平和運動にも影響を与えたと評価される。こうした意味で、本布告は十月革命の成果であると同時に、第一次世界大戦後の世界秩序をめぐる構想の一端を示す史料として重要な位置を占めている。