国民革命
国民革命は、1920年代の中国で孫文と中国国民党が主導した全国的な革命運動であり、軍閥による分裂状態を克服し、帝国主義勢力の支配を打破して統一国家を樹立しようとした政治・軍事・社会運動である。広東に成立した革命政権を拠点に、中国共産党との協力やソ連の援助を受けつつ、国民革命はやがて国民革命軍による北伐へと発展し、中国近代史の転換点となった。
成立の背景
1911年の辛亥革命によって清朝は倒れたが、その後の中国では北京の軍閥政権と各地の軍閥が割拠し、統一的な共和国家は実現しなかった。列強は関税自主権の制限や租界の支配を通じて経済・外交面で強い影響力を維持し、主権は大きく制約されていた。1919年の五四運動は、こうした軍閥支配と帝国主義に対する知識人・学生・都市民衆の反発を示し、民族独立と民主主義を掲げる新しい政治運動の土壌を整えた。
軍閥割拠と反帝国主義運動
北洋軍閥の政権は頻繁なクーデターと内戦によって正統性を失い、地方でも軍閥が重税と暴政で民衆を圧迫していた。このなかで労働争議や学生運動が活発化し、とくに1925年の五三〇運動は上海での対英デモから全国的な反帝国主義運動へと発展した。こうした高揚する民族運動を組織的な革命運動へと結集させる試みとして、中国国民党の再建と国民革命の構想が生まれた。
広東国民政府と第1次国共合作
1920年代前半、孫文は広東に拠点を移し、ソ連の援助を受けながら広東国民政府を樹立した。ここで彼は、ソ連との提携と共産党員の参加を認める連ソ容共扶助工農の方針を打ち出し、中国共産党との協力関係、すなわち第1次国共合作が形成された。1924年の中国国民党一全大会では、民族・民権・民生を新たに解釈した新三民主義が掲げられ、革命的な大衆政党としての党の性格が明確にされた。
国民革命の理念と目標
国民革命は、単なる軍事行動ではなく、帝国主義と軍閥支配を打倒し、民衆に立脚する近代国家を樹立することを目的とした。その理念は広東政府の政策や党綱領に具体化され、農民・労働者運動の組織化とも結びつけられた。黄埔軍官学校で養成された将校たちは、この理念を体現する「革命軍」の指導者として期待された。
- 帝国主義勢力と不平等条約の打倒
- 軍閥勢力の打倒と国家の統一
- 農民・労働者を基盤とする新秩序の構築
国民革命軍と北伐の進展
1925年の孫文の死後も方針は継承され、広東の革命政権は統一戦争を遂行するために国民革命軍を編成した。1926年に開始された北伐では、国民革命軍が湖南・湖北から長江流域へと進撃し、多くの軍閥勢力を撃破して各地の政権を改編した。進軍に伴い農民運動や労働運動も拡大し、国民革命は軍事面だけでなく社会改革の面でも急速に広がっていった。
上海クーデターと第一次国共合作の崩壊
しかし、北伐の進展とともに、地主・資本家層や一部の軍指導者は急進的な大衆運動に強い警戒を抱くようになった。1927年、上海に入城した蔣介石は、現地の資本家勢力と結びつき、労働者の武装蜂起を弾圧するクーデターを実行し、多数の共産党員や労働者を殺害した。このいわゆる「上海クーデター」によって第1次国共合作は崩壊し、国民革命は内部対立によって大きく方向転換を迫られた。
南京国民政府の樹立と国民革命の帰結
蔣介石の率いる勢力は南京に政権を樹立し、その後も北伐を継続して主要な軍閥勢力を服属させた。1928年には形式上の全国統一が達成され、南京の国民政府(中国)が中国の正統政府として列強から承認されていく。こうして国民革命は、軍閥割拠の打破と中央集権的な近代国家の枠組みを一定程度築くことに成功したが、農村の貧困や地方の不満、共産勢力との対立は解決されず、その後の内戦と抗日戦争へと課題を残した。
国民革命の歴史的意義
国民革命は、辛亥革命後の混乱状態を整理し、中国に統一政府をもたらした点で近代中国史の節目となる運動である。同時に、帝国主義への抵抗と大衆動員を重視したその性格は、世界史上の民族解放運動の一例としても位置づけられる。広東の広東国民政府から国民政府(中国)へと至る過程は、中国の国家形成と革命運動が、協力と対立を繰り返しながら展開したことを示しており、後の中国革命やアジアの独立運動を理解するうえで欠かせない歴史的経験となっている。