侵入ギリシア軍との戦い|トルコ独立戦争の核心

侵入ギリシア軍との戦い

侵入ギリシア軍との戦いとは、第一次世界大戦後の講和体制の下でギリシア軍が小アジア(アナトリア)に上陸し、トルコ民族運動と激しく衝突した一連の軍事行動を指す用語である。とくに1919年のスミルナ(イズミル)上陸から1922年のトルコ軍大攻勢までの西部戦線の戦いを念頭に置くことが多く、これはトルコ革命の核心部分であり、同時にオスマン帝国滅亡を決定づけた出来事でもあった。

第一次世界大戦後の国際情勢とトルコ・ギリシア関係

第一次世界大戦で敗れたオスマン帝国は、連合国と休戦条約を結び、帝国の領土は勝利国による分割の対象となった。戦勝国側についたギリシアは、かねてからの「大ギリシア主義」(メガリ・イデア)にもとづき、小アジア西岸に住むギリシア系住民の保護と領土拡張を主張し、連合国とくにイギリスから一定の支持を受けた。その結果、ギリシアは小アジアへの軍事介入を許可され、のちの悲劇的な戦争への道が開かれたのである。

セーヴル条約とギリシア軍の小アジア侵入

1919年5月、ギリシア軍はスミルナに上陸し、小アジア内陸部へと進撃を開始した。これは連合国が準備していた対オスマン講和であるセーヴル条約の内容を先取りする動きであり、ギリシアは将来の正式な領有を見越して実効支配を強めようとしたのである。ギリシア軍の進撃にともない、ギリシア系住民とムスリム住民との対立は激化し、虐殺や報復が相次いだ。このことはアナトリアのトルコ人社会に深い危機感と憤激をもたらし、民族運動を押し広げる要因となった。

トルコ民族運動と国民軍の結成

一方、イスタンブルのスルタン政府が連合国に従属的な姿勢をとるなかで、アナトリアではムスタファ=ケマルを指導者とする民族運動が勃興した。彼はサムスン上陸後、各地の民族会議を組織し、アンカラに国民議会を開設して独自の政府を形成した。このアンカラ政府は、ゲリラ部隊である「民族軍(クヴァーイ・ミッリイェ)」を正規軍へと再編し、小アジア西部に侵入したギリシア軍との本格的な戦争に備えたのである。こうしてアナトリアでは、連合国に後押しされたギリシア軍と、民族自決を掲げるトルコ国民軍との対決構図が明確になった。

イノニュの戦いとサカリヤの戦い

1921年、ギリシア軍はアンカラ攻略をめざして進撃を続けたが、その途上でトルコ国民軍はイノニュ付近で頑強な抵抗を示し、第1次・第2次イノニュの戦いでギリシア軍を撃退した。この勝利によりアンカラ政府の権威は高まり、ソ連や一部の欧州諸国はトルコ民族運動を現実的な勢力として認め始めた。続くサカリヤの戦いでは、トルコ側は防御戦に徹しながらギリシア軍を消耗させ、最終的にその攻勢を挫折させた。この一連の戦闘は、のちにケマル=アタテュルクと称されるムスタファ=ケマルの軍事的才能を示すものとして高く評価されている。

ギリシア側の戦略的行き詰まり

ギリシア政府は、領土拡張と同胞保護を掲げて小アジア遠征を続けたが、補給線は伸びきり、国内の戦争疲弊も深刻化した。さらに、欧州列強のあいだで対トルコ政策に温度差が生じ、ギリシアへの支援は次第に後退していった。こうした国際環境の変化は、侵入ギリシア軍の戦略的選択肢を狭めることになり、戦局はしだいにトルコ側に有利に傾いていったのである。

トルコ軍大攻勢とスミルナ奪還

1922年、トルコ国民軍は西部戦線で大規模な反攻作戦、いわゆる「大攻勢」を開始した。ドゥムルプナル付近での決戦でギリシア軍主力を撃破すると、トルコ軍は一気にエーゲ海岸へと進出し、スミルナへ突入した。ギリシア軍およびギリシア系住民は急速な撤退を余儀なくされ、その過程で市街地の火災や虐殺など多くの悲劇が生じたと伝えられる。この大攻勢によって、小アジアにおけるギリシア軍の拠点はほぼ崩壊し、侵入作戦は事実上の失敗に終わった。

戦いの終結とローザンヌ条約

軍事的敗北を受けてギリシアは休戦に応じ、連合国はトルコ民族運動と改めて講和交渉を開始した。その結果として締結されたのがローザンヌ条約であり、この新講和条約によってセーヴル条約は破棄され、アナトリアと東トラキアにおけるトルコの主権が承認された。あわせてトルコとギリシアのあいだでは住民交換が実施され、大規模な人口移動が起こった。これによって小アジア西岸のギリシア系住民社会は大きく姿を変え、地域の民族構成は大きく再編されたのである。

トルコ革命における歴史的意義

侵入ギリシア軍との戦いは、単なる国境紛争ではなく、旧帝国体制から民族国家へと移行する過程で生じた決定的な軍事対決であった。トルコ側にとっては、アナトリアの防衛と国家主権の回復を実現した勝利であり、のちに建国されるトルコ共和国の正統性を支える歴史的経験となった。一方、ギリシアにとっては「小アジア災厄」と呼ばれる国家的挫折であり、その後の政治・社会に深い影響を残した。このように、第一次世界大戦後の国際秩序の再編という広い文脈のなかでみたとき、侵入ギリシア軍との戦いは、バルカンと東地中海世界の境界線を描き直した重要なエピソードとして位置づけられるのである。