メアリ2世|名誉革命後に共治で立憲王政を築く

メアリ2世

メアリ2世は、17世紀後半のイングランド・スコットランド・アイルランドを統治した女王であり、夫ウィリアム3世との共同統治によって、立憲的な議会王政を定着させた人物である。父はカトリック教徒の国王ジェームズ2世、母はプロテスタントのアン・ハイドであり、王家内部の宗教対立のただ中で育った。彼女の即位は名誉革命と結びつき、専制的な王権から議会主権へと移行する過程において重要な転換点となった。

出自と幼少期

メアリ2世は1662年、後のイングランド王ジェームズ2世(当時はヨーク公)と、その最初の妻アン・ハイドとのあいだに生まれた。王家は王政復古後の王政復古期にあり、叔父チャールズ2世のもとで宮廷文化が再び活気を取り戻していたが、父ジェームズはやがてカトリックに改宗し、王家内部に宗教的亀裂を生んだ。メアリ自身はイングランド国教会の信仰のもとで育てられ、プロテスタントとしての教育を徹底的に受けたことが、後の即位の正当性にも深く関わることになった。

オラニエ公ウィレムとの結婚

1677年、メアリはオランダ総督であるオラニエ公ウィレム(のちのウィリアム3世)と政略結婚をする。これはイングランドとオランダのプロテスタント勢力を結びつけ、大陸におけるフランス絶対王政への対抗軸を形成することを意図した婚姻であった。若いメアリは当初この結婚に複雑な感情を抱いたとされるが、次第に夫への信頼と敬虔な宗教心を共有し、夫妻はプロテスタント陣営の象徴的存在となった。彼女がオランダで過ごした年月は、のちにイングランドに導入される政治・宗教のあり方を観察する期間ともなった。

名誉革命と即位

1685年に父ジェームズ2世が即位すると、カトリック優遇政策や常備軍の増強など専制的な統治が強まり、イングランド社会には不安と反発が広がった。とくにプロテスタント貴族や都市の有力者、さらにはトーリ党ホィッグ党の一部は、王権の強化とカトリック化を危険視し、プロテスタント王位継承の保障を求めるようになる。1688年、ジェームズ2世に男子相続人が誕生すると、王位がカトリック系で固定されるとの懸念が一気に高まり、有力貴族らはオランダにいたウィレムとメアリ2世に「救国」のための出兵を要請した。この呼びかけに応じてウィレムは軍を率いて上陸し、ジェームズ2世はフランスへ逃亡する。流血の少なさから「名誉革命」と呼ばれるこの事件ののち、1689年にウィリアム3世とメアリ2世は共同統治者として王位に迎えられた。

共同統治の仕組み

共同統治は、ウィリアム3世とメアリ2世の両者が国王としての称号を共有するという、イングランド史上きわめて特異なものであった。形式上は両者が対等であるが、軍事・外交面では経験豊かなウィリアム3世が主導し、国内統治や宮廷運営ではメアリが補完するという役割分担が成立した。共同即位はジェームズ2世の長女であり、かつプロテスタントであるメアリの血統的正統性と、軍事的指導者としてのウィリアムの実力を組み合わせる政治的妥協であり、王権と議会の均衡を図るうえでも重要な意味をもっていた。

内政と宗教政策

共同統治下のイングランドでは、王権の乱用を防ぐための諸原則が整えられた。1689年の権利章典と並び、同年に制定された寛容法は、国教会に属さないプロテスタントである非国教徒に一定の信仰の自由を認める法律として知られる。もっともローマ・カトリック教徒や無神論者は対象外であり、完全な宗教的自由からはほど遠かったが、宗教戦争の時代を経て寛容の原理が法制度として一歩前進した点は重要である。メアリは敬虔な国教会信徒として知られ、しばしば教会改革や道徳の引き締めを支持しつつも、夫ウィリアムの現実的な政治判断を尊重し、宗教政策を通じて王国の安定を図った。

議会政治との関係

イギリス議会政治の確立という文脈において、ウィリアム3世とメアリ2世の時代は転換点と評価される。権利章典は、議会の同意なき常備軍の維持や課税の禁止、議会の頻繁な招集などを定め、王権を法の枠内に拘束した。これはすでにチャールズ2世期の人身保護法などによって蓄積されてきた自由の保障を一層強化するものであり、王政復古から名誉革命に至る一連の政治過程が、立憲的王政の基礎を築いたことを示している。メアリ自身は政治運営で夫の陰に隠れがちであったが、ウィリアムが大陸戦争で不在の際には摂政として政務を取り仕切り、議会との折衝において冷静かつ忠実に王権を代表した。

晩年と死、評価

メアリ2世は1694年、天然痘に罹患して急逝し、その治世はわずか数年で幕を閉じた。死ののち、ウィリアム3世は単独で統治を続け、プロテスタント王位継承はメアリの妹アンへと引き継がれていく。メアリの政治的影響力は夫に比べて小さいと評価されることが多いが、プロテスタント信仰への忠誠と父ジェームズ2世への個人的感情との間で苦悩しつつ、国家の安定と信仰を優先して行動した点に彼女の特質がある。また、王政復古以来揺れ動いてきた王権と議会の関係を、名誉革命後の新しい枠組みのもとで定着させた共同統治の一翼を担ったことにより、彼女はイングランド近世史において重要な位置を占める女王として記憶されている。