フィルマー|絶対王権を理論化した保守思想家

フィルマー

フィルマーは、17世紀イングランドの政治思想家で、王権神授説と父権的支配を結びつけた保守的な王権論で知られる人物である。通常、彼はイングランド紳士層出身の思想家Robert Filmer(1588頃〜1653)を指し、ステュアート朝期において国王の絶対的権威を理論的に擁護した代表的論者と位置づけられる。主著『Patriarcha(パトリアーカ)』において彼は、王の権力は聖書に語られる始祖アダムに与えられた父権に由来すると主張し、人民の「自然的自由」や人民主権を激しく批判した。この学説は、のちにイギリス革命をめぐる政治思想の対立の中で重要な論敵とみなされ、ジョン・ロックによる批判を通じて近代的な自由・権利論の形成にも大きな影響を与えた点で注目される。

生涯と社会的背景

フィルマーは、イングランド南東部ケントの地方紳士(ジェントリ)出身で、地主貴族として地域社会の統治に関わりつつ、王政を支持する立場から政治的著作を残したと考えられている。彼は宮廷の高位官僚というより、地方エリートとして王権を支える側に位置し、治安判事などの職務を通じて王と地方社会の仲介を担ったとされる。こうした経験は、父親が家族を統率するように国王が国家を統治するべきだとする、彼の父権的な政治観を形づくる土台となった。また、彼が生きた時代には、君主の下での官僚制整備や常備軍の維持など、絶対王政的な統治装置の形成が進みつつあり、その正当化をめぐる思想闘争が激化していた。

ステュアート朝と王権神授説

フィルマーの思想は、ジェームズ1世やチャールズ1世が君臨したステュアート朝イングランドの政治状況と密接に結びついている。とくにジェームズ1世は、国王が神から直接権力を授けられるとする王権神授説を強く唱え、議会との対立を深めた。王が課税権や宗教政策をめぐって議会と衝突し、内戦の危機が高まる中で、王の権威を聖書と伝統に基づいて守ろうとする保守的な理論が求められた。フィルマーは、こうした王権神授説をさらに徹底して体系化し、「王と父は同一の権威を持つ」という父権論を通じて、国王の絶対的服従義務を説いたのである。

父権的王権論の核心

フィルマーの父権的王権論の出発点は、人間社会の最初の形態は家族であり、政治共同体は家族の拡大にすぎないという理解である。彼によれば、最初の人間アダムは神から世界支配の権限を与えられた最初の父であり、その父権は子孫へと世襲されることで、歴史的国王にまで連続している。したがって、臣民は本来的に「自由な個人」ではなく、国王という父に服従すべき子どもに等しい存在であり、君主の権威に対して抵抗権や反乱権を持たないとされた。国家は契約ではなく血統と父権に基礎づけられるため、主権は人民ではなく常に王にあるという結論に至るのである。

著作『パトリアーカ』の内容

フィルマーの主著『Patriarcha(パトリアーカ)』は、父権的王権論を聖書解釈と歴史論によって詳細に展開した著作であり、3部構成で自然自由や人民主権論を批判しているとされる。彼はまず、アダムの父権が神意に基づく絶対的支配権であったことを強調し、その権利がノアや族長たちを経て、各国王へと継承されたと論じる。次に、人民が自然状態において自由で平等であったとする主張を退け、そうした前提に立つ社会契約説は歴史的にも聖書的にも根拠がないと批判する。さらに、民会や議会による統治を人民主権の表れとして正当化する議論に対しても、実際には王からの委任にすぎないと主張し、王の至上権を理論的に守ろうとした。

ロックによる批判と近代政治思想

17世紀後半、イギリス革命の過程で国王処刑や共和政・立憲王政の経験を経ると、フィルマーの父権論は自由主義的な政治思想家にとって重要な「論敵」となった。その代表が、ジョン・ロックによる『統治二論』である。ロックは第一論でフィルマーを名指しして批判し、アダムの父権から現代の王権を導く論理が聖書的にも理性的にも成り立たないことを詳細に論証した。ロックは人間は本来自由で平等であり、政府は人々の合意(契約)によって成立し、自然権を侵害する政府には抵抗する権利があると主張した。こうして、フィルマーの父権論は、近代的な自然権思想と立憲主義が形づくられていく過程で、批判の対象として重要な役割を果たしたのである。

絶対王政思想との関連

フィルマーの思想は、ヨーロッパ各地で展開した絶対王政の理論的支柱の一環として理解される。フランスでは、財政・産業政策を主導したコルベールが王権強化をめざし、その政策の一環としてフランス東インド会社フランス西インド会社といった特権会社が設立され、王の統制下で海外貿易が進められた。イングランドにおいても、フィルマーの父権論は、国王を家父長として仰ぎ見る政治秩序を正当化し、国家の軍事力や財政基盤を集中させるための思想的支えとなったと解釈できる。同時に、その極端な王権擁護は、のちに立憲主義・議会主義を掲げる勢力から批判されることで、絶対王政と自由主義の対立構図を浮き彫りにした。

ホッブズとの比較と評価

フィルマーはしばしばトマス・ホッブズと並べて語られるが、その理論構成には大きな違いがある。ホッブズは自然状態を「万人の万人に対する闘争」と捉え、人々が自己保存のために契約を結び、主権者に権利を委ねるという社会契約論を展開したのに対し、フィルマーはそもそも自然状態や契約の前提を認めず、家族と父権から国家を説明しようとした。両者はいずれも強力な主権者を擁護する点で絶対主義的であるが、フィルマーは伝統と聖書に基づく保守的・家父長的な秩序の維持を志向している点で、近代的な契約論とは一線を画している。近代政治思想史において、彼はロックによって克服されるべき旧い権威主義的思想として扱われる一方、父権的支配や家族モデルに依拠した権力観を理解するうえで、今日でも重要な手がかりを提供していると評価される。