パン=アメリカ会議
パン=アメリカ会議は、アメリカ合衆国とラテンアメリカ諸国が集まり、相互の交流・協力・対立をめぐって協議した国際会議である。19世紀末から20世紀にかけて繰り返し開催され、外交・通商・治安・仲裁など多様な議題を扱いながら、のちの地域機構の源流となった。一方で、パン=アメリカ会議はしばしば米国の影響力拡大の場ともなり、協調と反発が交錯する舞台であった。
起源と背景
パン=アメリカ会議の構想は、19世紀前半に打ち出されたモンロー主義と、ラテンアメリカ諸国の独立達成を背景としている。欧州列強の再植民地化を警戒した米国は、西半球を自らの勢力圏として位置づけ、政治的・経済的な主導権を確立しようとした。19世紀後半には、交通・通信の発達とともに、関税問題や治外法権、債務問題など共通の課題が顕在化し、米州諸国を一堂に集める場としてパン=アメリカ会議が構想されたのである。
第1回パン=アメリカ会議
第1回パン=アメリカ会議は1889〜1890年、ワシントンで開催された。これは、米西戦争以前から米国がラテンアメリカへの経済進出と政治的影響力拡大を図っていたことを象徴する出来事である。会議では、関税引き下げや交通網整備、紛争の平和的解決のための仲裁制度などが議論され、常設の事務局にあたる国際機関の設置が構想された。実際には各国利害が衝突し、共通関税圏など野心的な計画は実現しなかったが、米州諸国の継続的協議の枠組みが形づくられた点は重要である。
会議の継続と制度化
第1回以後もパン=アメリカ会議は定期的に開催され、そのたびに外交慣行や国際法の整理、衛生・通信・知的財産など実務的分野での協力が議題となった。20世紀初頭には、ハーグ国際会議や第一次世界大戦後の国際連盟とも関連しながら、地域レベルの平和維持と紛争解決の制度としての性格を強めていく。やがてパン=アメリカ会議の枠組みは常設機関へと発展し、後には米州機構(OAS)へと継承されることで、アメリカ大陸における地域主義の基盤となった。
アメリカ合衆国の意図とラテンアメリカの反応
パン=アメリカ会議は名目上「米州諸国の対等な連帯」を掲げたが、現実には米国の政治的・経済的優位が色濃く反映していた。ラテンアメリカ側では、米国主導の帝国主義的介入や、関税・投資を通じた従属化への警戒が根強く、会議の場で主権尊重や不干渉原則を強く主張する動きがみられた。とくにキューバ問題やカリブ海政策をめぐっては、パン=アメリカ会議の協調理念と、米国の現実の外交行動とのギャップが露呈し、ラテンアメリカの反米感情を刺激した。
20世紀の展開と歴史的意義
20世紀に入ると、パン=アメリカ会議は、世界大戦や冷戦の進行、革命運動の高まりなど国際情勢の変化に応じて、その役割を変化させていく。とくに中南米での社会改革やキューバ革命などは、米州の秩序構想をめぐる対立を会議の場に持ち込んだ。一方で、保健衛生や教育、文化交流、航空・通信のルール整備など、実務協力の分野では一定の成果をあげた。総じてパン=アメリカ会議は、米州における地域主義と覇権、協調と抵抗が交錯する歴史を象徴する場であり、アメリカ大陸の国際関係を理解するうえで不可欠の枠組みである。