モンロー主義|欧米相互不干渉を掲げる外交原則

モンロー主義

モンロー主義は、1823年に第5代アメリカ大統領ジェームズ・モンローが議会への年次教書で示した外交方針を後に抽象化した概念であり、「アメリカ大陸はヨーロッパ諸国の植民地化や干渉の対象とならない」と主張する原則である。ヨーロッパの旧大陸とアメリカ大陸を分けるこの原則は、その後のアメリカ合衆国外交の基本理念の一つとして長期にわたり機能し、ラテンアメリカ諸国や世界秩序に大きな影響を与えた。

歴史的背景

モンロー主義が生まれた背景には、ナポレオン戦争後に成立したウィーン体制と、スペイン・ポルトガル支配からのラテンアメリカ諸国の独立運動がある。ヨーロッパでは反動的な君主勢力が正統主義と干渉主義を掲げて旧体制の復活を目指していた一方で、アメリカ大陸では新たな独立国家群が誕生しつつあった。こうした中でアメリカ合衆国は、ヨーロッパ諸国が再び西半球における勢力圏を拡大し、独立した新国家を従属させることを警戒するようになった。

モンロー教書とモンロー主義の内容

1823年12月、モンロー大統領は議会への年次教書、いわゆるモンロー教書において、ヨーロッパ諸国に対する警告とアメリカの外交原則を示した。後世にモンロー主義と呼ばれるようになるこの方針は、おおむね次のような柱からなる。

  • アメリカ大陸はいかなるヨーロッパ列強による新たな植民地化の対象とならない(「新植民地化の否認」)。
  • ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸諸国への政治的・軍事的干渉は、アメリカ合衆国の平和と安全に対する脅威とみなされる。
  • その代わりにアメリカ合衆国も、ヨーロッパ諸国の内政や欧州大陸の戦争には介入しない不干渉の立場を取る。

このようにモンロー主義は、ヨーロッパとの相互不干渉と西半球の特殊性を強調するものであり、「旧世界」と「新世界」を政治的に分離する理念として理解される。

イギリスとの関係と国際環境

モンロー主義の形成には、海軍力を背景に自由貿易を拡大しようとしたイギリスの思惑も大きく関わる。イギリスは、スペイン旧植民地が独立国家となることで新たな市場へのアクセスが拡大すると期待し、ヨーロッパ大陸の反動勢力が軍事介入して旧植民地を回復することに反対していた。アメリカ合衆国はイギリス海軍の存在を事実上の後ろ盾としつつ、独自の原則としてモンロー主義を掲げることで、西半球における政治的リーダーシップと自律性を主張したのである。

領土拡大とアメリカ外交の展開

モンロー主義は、アメリカ合衆国の領土拡大政策とも結び付けられて理解されることが多い。すでに国土はルイジアナ買収によって西方へと大きく広がっており、その後も先住民の土地を奪いながら西漸運動が進んだ。19世紀半ばにはテキサス併合やメキシコとの戦争を通じて南西部を獲得し、内側では奴隷制をめぐる対立から南北戦争が勃発する。こうした過程で、アメリカは自国を自由と共和政の擁護者として位置づけつつも、西半球における勢力圏拡大を正当化する論理としてモンロー主義を利用していった。

20世紀における帝国主義的運用

20世紀に入ると、モンロー主義はしばしば拡大解釈され、カリブ海や中南米への軍事介入や保護国化を正当化する根拠として用いられた。とくに「ローズヴェルト修正」と呼ばれる解釈では、アメリカ合衆国がラテンアメリカ諸国の「秩序維持」を名目に介入する権利を主張し、パンマ運河地帯の確保や各国の財政管理など、事実上の覇権的支配が展開された。このような運用は、形式的にはヨーロッパ列強の介入を阻止するという理念に基づきつつも、実際には新たな形態の帝国主義として批判される要因となった。

国際秩序とモンロー主義の歴史的意義

モンロー主義は、一方ではウィーン会議後のヨーロッパ中心の国際秩序に対抗し、新世界の政治的自立を宣言する思想として評価される。他方で、それはアメリカ合衆国自身の勢力圏を正当化するイデオロギーともなり、ラテンアメリカ諸国にとっては屈折した意味を持つことになった。ヨーロッパの「旧世界」とアメリカ大陸を分けるという構図は、19世紀外交の理解に不可欠であり、ナポレオン戦争後のウィーン体制や20世紀の帝国主義、さらには冷戦構造の形成を考えるうえでも重要な手がかりとなる。今日の国際政治を見る際にも、モンロー主義に象徴される地域覇権と安全保障の論理は、依然として比較の対象となっているのである。