ザンジバル|インド洋交易の十字路

ザンジバル

ザンジバルは東アフリカ沿岸の沖合に位置する群島で、主島ウングジャ島(一般にザンジバル島と呼ぶ)とペンバ島を中心に構成される。季節風がもたらす海上交通の要衝であり、スワヒリ文化が花開いた都市ストーン・タウンはUNESCO世界遺産に登録される。クローブ(丁子)をはじめとする香辛料生産で知られ、19世紀にはアラブ系政権の下で香辛料と象牙、さらに奴隷の交易が展開した。20世紀には英領保護下を経て、1964年の革命ののちタンガニーカと合邦しタンザニア連合共和国の半自治地域となった。今日のザンジバルは観光と農漁業、軽工業を軸に多民族・多文化の社会を形成している。

地理と自然環境

主要な居住域は珊瑚石灰岩台地上に広がり、サンゴ礁の内海が良港を提供する。季節風(モンスーン)が航海を規定し、北東季節風期と南西季節風期で航路と到達先が変化した。肥沃な土壌と高湿度はクローブやシナモンの栽培に適し、海洋資源も豊富である。

スワヒリ海岸の形成

バントゥ系住民とペルシア・アラブの商人が接触し、イスラームとアフリカ在来文化が融合したスワヒリ文明が成熟した。石造モスクやスワヒリ語文学は都市共同体の自律性と海商ネットワークの広がりを物語る。紅海方面の交易は大陸内陸とも結びつき、北方のエチオピアや古代のアクスム王国とも海上・陸上の回廊で連関した。

ポルトガルとオマーンの支配

16世紀、ポルトガル勢力がインド航路を掌握すると、沿岸都市は要塞化され課税の対象となった。17世紀末にはオマーンが優勢となり、19世紀前半に政権は首都機能をマスカットからザンジバルへ移し、クローブ・プランテーションとインド洋交易を再編した。アラブ系地主とアフリカ系住民、インド系商人が交錯する社会が広がった。

奴隷貿易と社会構造

東アフリカ内陸で捕えられた人々はザンジバル市場を経てアラビア半島、ペルシア湾、インド側へ移送された。19世紀後半、英国の圧力で奴隷貿易は段階的に禁止され、1890年の保護領化、1896年の英ザンジバル戦争を経て政治秩序が再編された。この過程は都市空間、宗教共同体、労働形態に長期的影響を残した。

経済基盤と香辛料

ザンジバルは「スパイス諸島」と称されるほど香辛料栽培が盛んで、富を生んだのは丁子であった。観光と漁業、軽工業が現代経済の柱で、石造建築群や伝統音楽「タラーブ」は文化資源としても重要である。

  • 主要産品:クローブ、シナモン、ナツメグ、ココナツ
  • 現代の柱:観光、漁業、食品加工
  • 文化資源:ストーン・タウンの建築、スワヒリ語芸能

都市景観と建築

ストーン・タウンは珊瑚石灰岩を積んだ住居と曲線的路地で知られる。バルコニーや扉の装飾はアラブ・インド・アフリカの様式が混交し、ベイト・アル・アジャイブなどの公共建築は19世紀都市の象徴である。都市構造は宗教施設、商業街区、港湾機能が密接に結びつく。

独立、革命、連合

1964年、政変により王政が崩壊し、革命政府が樹立された。その後、タンガニーカと連合してタンザニアが成立し、ザンジバルは半自治の地位を保持する。議会・政府は地域内の法と行政を担い、連邦政府は外交・防衛・通貨を管轄する二層構造が続いている。

東アフリカ海商ネットワーク

ザンジバルは北方の沿岸都市と密に連動し、ケニア沿岸のモンバサマリンディと共に、象牙・香辛料・織物の再分配を担った。内陸キャラバンは大湖地方へ伸び、港湾の倉庫・交易所は季節風に合わせて機能した。これらの接点はスワヒリ都市連合の歴史的基盤をなす。

サハラ以南世界との対比的文脈

インド洋交易圏の繁栄は、サハラ砂漠を越える交易圏とも並行して展開した。西アフリカの黄金・岩塩・学術はサハラ横断交易に支えられ、ニジェール中流域のマリ王国ガーナ王国ソンガイ王国や学術都市トンブクトゥの発展は、海路中心のザンジバルと比較する上で参照軸となる。両者はイスラーム学術と商人ネットワークを通じて緩やかに連関した。

史料と記憶の継承

旅行記や港湾税記録、建築史料はザンジバルの日常と国際性を伝える。アラビア語・スワヒリ語文献、欧米宣教師・官吏文書、口承史の突き合わせにより、奴隷制・移民・都市文化の長期的変容を再構成できる。文化遺産保全は観光経済の基礎であると同時に、島嶼社会の自己理解を支える営みである。

用語メモ

ウングジャ島=一般にザンジバル島、ペンバ島=クローブ栽培で知られる。ストーン・タウン=旧市街。タラーブ=融合音楽。季節風=航海のリズムを規定。これらはザンジバル史の鍵概念である。