マリ王国
マリ王国は、西アフリカ内陸のニジェール河上流域を中心に13世紀から16世紀頃に繁栄したマンディンカ系の大王国である。金産地とサハラ縦断交易を掌握し、イスラーム世界との接触を強めつつ学術都市を育成した。国家は「マンサ(王)」を頂点とする重層的支配と朝貢・交通網の統御によって維持され、スンディアタ・ケイタの建国、マンサ・ムーサの治世に最盛期を迎えたのち、交易ルートの変動と諸勢力の台頭により徐々に縮小した。
成立と地理的基盤
マリ王国の基盤は、サヘルとサバンナが接する帯状地域に置かれた。豊かな草地と周期的な降雨は農耕と牧畜の複合生業を可能にし、ニジェール河の水運は長距離移動と交易を助けた。初期の政治単位は氏族・同盟の集合であり、在地の首長権力が金・塩・奴隷・コーラの流通に関わるなかで、広域の軍事的指導力を持つ王権が台頭した。
スンディアタ・ケイタと国家形成
マリ王国の建国者とされるスンディアタ・ケイタは、諸氏族を糾合して十三世紀前半に覇権を確立したと伝えられる。口承叙事詩「スンジャータ叙事詩」は彼の出自・放逐・帰還・勝利という英雄譚を伝え、王権神話として後代の正統性を支えた。彼の時代に朝貢秩序と属州支配が整備され、主要街道・河川・市を結ぶ監督体制が築かれた。
マンサ・ムーサの治世と最盛期
マリ王国の最盛期は14世紀前半のマンサ・ムーサである。彼はメッカ巡礼(ハッジ)で地中海・紅海沿岸に名声を轟かせ、金の豊饒を示した。帰国後は学者や職人を招聘し、モスクや学塾が整備された。王権は金産地・塩産地・交易都市を結ぶ網を掌握し、徴税と保護を交換する形で商人勢力を取り込んだ。
- 学匠の招聘と都市整備の推進
- 金流通の管理と貨幣経済の浸透
- 巡礼を通じた国際的威信の上昇
交易と経済構造
マリ王国はサハラ縦断交易の結節点を押さえ、金・塩・奴隷・銅・コーラ・布などの品目が砂漠の隊商と河川舟運を介して移動した。金砂は秤量で扱われ、度量衡の統一が市場秩序を支えた。国家は関税・通行税・市場税を徴収し、治安維持と商道の維持補修を担った。商人共同体や仲買層は多言語的で、遠隔地信用や相互扶助が発達した。
政治制度と社会秩序
マリ王国の頂点に立つマンサは属州の総督を任命し、諸首長からの忠誠と貢納を受けた。軍事は騎兵と歩兵を組み合わせ、河川では舟艇が動員された。身分と職能は多様で、在地の慣習法とイスラーム法が場面に応じて適用された。語り部グリオ(ジェリ)は歴史記憶を伝え、王権儀礼と社会統合に不可欠の役割を果たした。
イスラーム受容と学術の発展
マリ王国では王侯や商人層を中心にイスラームが受容され、裁判・契約・教育の分野で法学者(ウラマー)が活動した。コーラン学校や学塾が整備され、学問と商業が結びつく都市文化が形成された。他方で在来信仰や王権祭祀も残存し、実務上は二重の規範が共存した。
都市・建築・文化
マリ王国の都市は市場・礼拝施設・学塾・職人地区で構成され、土造建築に木製トラスや足場梁を組み合わせるスーダン・サヘル様式が発達した。モスクの増築・改修は王権の徳政と結びつき、巡礼帰りの施主が学者を伴って都市機能を高めた。音楽・叙事・工芸は交易によって広域に伝播し、文化的同時性を生んだ。
外交・軍事・交通
マリ王国は周辺の森と草原の諸勢力、サハラの隊商都市、地中海商圏と多面的に関わった。外交は婚姻・贈答・朝貢を軸に展開し、街道・渡河点・砂漠オアシスの掌握が軍事と財政の要であった。駱駝隊と河舟を連結する輸送体系は、季節風と水位変動を読み込む運行知に支えられた。
衰退と継承
15世紀以降、マリ王国は継承争いと属州離反、交易ルートの変化に直面した。サハラ内の勢力移動や沿岸部の大西洋交易の拡大は、内陸の関税収入を侵食した。やがて周辺王国の台頭に押され、領域は縮小したが、マンディンカ系社会の言語・音楽・法慣行・儀礼は広域に継承され、西アフリカの政治文化に長期の痕跡を残した。
史料と研究
マリ王国の歴史復元は、旅行記・年代記・口承資料・考古学の横断によって進む。都市遺跡の年代測定、川舟・隊商の物流復元、度量衡・税制の具体相の解明が、政治経済史の骨格を与える。口承叙事と書記資料の相互参照は、王権神話と実態の差異を読み解く重要な方法である。
年代表(簡略)
- 13世紀前半:スンディアタ・ケイタが諸氏族を糾合し建国
- 13世紀末〜14世紀前半:領域拡大と都市発展、交易の最適化
- 1324年頃:マンサ・ムーサのメッカ巡礼、国際的名声の確立
- 14世紀後半:学術都市の伸長と王統の動揺が並行
- 15世紀以降:周辺勢力の台頭、沿岸交易の拡大により縮小