イタリア社会党|イタリアの代表的社会主義政党

イタリア社会党

イタリア社会党は、19世紀末に結成されたイタリアの代表的な社会主義政党であり、労働者階級の利益を代弁しつつ、議会制民主主義の枠内で社会改革を目指した政党である。後に登場するファシスト党やイタリア共産党と並び、20世紀前半のイタリア政治を理解するうえで欠かせない存在であり、イタリアの労働運動と民主主義の発展に大きな影響を与えた。

成立の背景と創立

19世紀後半のイタリアでは、統一の達成後も地域格差や農村の貧困が深刻であり、都市部では産業化に伴う労働問題が顕在化していた。これらの状況のもとで、各地の労働者団体や社会主義団体が統一を模索し、1892年、ジェノヴァでイタリア社会党の前身となる労働者政党が結成された。その後、名称と組織を整えつつ、全国的な社会主義政党としての基盤を固めていった。

初期の路線と社会民主主義

初期のイタリア社会党は、カール・マルクスの理論の影響を受けながらも、議会での改革を重視する穏健な路線をとった。党内の有力指導者は、選挙を通じて議席を増やし、労働時間の短縮や社会保険制度の整備など、段階的な社会改革を目指した点で社会民主主義政党の性格を強めていった。他方で、より急進的なマルクス主義派も存在し、階級闘争と革命を強調する立場とのあいだで緊張関係が続いた。

思想的特徴

  • イタリア社会党は、生産手段の社会的所有を理想としつつ、現実には議会での改革を重視した。
  • 労働組合や協同組合との連携を通じて、大衆の生活改善を図った。
  • 反聖職者主義や世俗主義を掲げ、カトリック教会と距離をとる傾向を持った。

第一次世界大戦とムッソリーニの離脱

第一次世界大戦が勃発すると、イタリア社会党は「いかなる側にもつかず、いかなる戦争も支持しない」という反戦・中立の立場をとった。このとき、党の有力な新聞人であったムッソリーニは、当初は反戦を唱えたが、次第に参戦支持へと転じたため、党から除名されることになった。ムッソリーニはその後、戦争経験者や中間層の不満を背景にファシスト党を結成し、イタリア社会党は、反戦と階級闘争を掲げる勢力として、戦後の政治的対立の一方の極を占めることになった。

戦後の急進化と共産党の分離

第一次世界大戦後、ヨーロッパではロシア革命の成功とコミンテルンの成立が大きな影響を与えた。イタリアでも1919〜1920年にかけて工場占拠や農民運動が高揚し、「赤い二年間」と呼ばれる時期を迎える。こうした情勢の中で、イタリア社会党内部では、議会での改革を重視する穏健派と、ロシアにならって革命をめざす急進派が激しく対立した。その結果、1921年のリヴォルノ大会で急進派が離脱し、新たにイタリア共産党を結成したことで、左翼勢力は分裂し、ファシズムに対抗する力が弱まることになった。

ファシズム期の弾圧と抵抗

ムッソリーニ政権の成立後、イタリア社会党は激しい弾圧を受けた。党本部や新聞社は襲撃され、多くの党員が投獄・亡命を余儀なくされた。とくに反ファシズムを貫いた議員や知識人は、フランスなど国外に拠点を移し、亡命政権的な活動を続けた。国内でも地下組織が細々と活動し、後には対独・対ファシズム抵抗運動の一部を担い、イタリア解放後の政治再編に参加する土台をつくった。

第二次世界大戦後の再建とその後

第二次世界大戦後、王制廃止と共和制移行の過程で、イタリア社会党は他の左派勢力とともに新憲法制定に関わり、社会権の保障や地方自治の拡充に寄与した。その後、イタリア社会党社会民主主義政党としての性格を強め、中道左派勢力としてキリスト教民主党との連立政権に参加し、福祉政策や国営企業を通じた経済政策に影響力を持った。一方で、冷戦構造のもとでイタリア共産党との関係や、汚職事件などをめぐり批判も受け、20世紀末には党組織の弱体化と再編を経験することになった。

歴史的意義

イタリア社会党は、イタリアにおける近代的な政党政治と労働運動を結びつけた最初期の組織のひとつであり、社会立法の拡充や民主主義の定着に大きく貢献した。同時に、党内対立や左翼分裂は、ファシズム台頭の一因とも評価される。イタリア社会党の歩みは、20世紀における社会主義政党の典型的な経験――議会主義と革命のあいだで揺れ動く路線選択、ファシズムや権威主義との対決、そして戦後の福祉国家建設――を示す事例として、世界史的にも重要な意味を持つ。