社会民主主義(修正社会主義)
社会民主主義(修正社会主義)とは、議会制民主主義を維持しながら、合法的・民主的な手段によってによる漸進的な社会改革と社会主義の実現を説いた。マルクスに代表されるような暴力革命やプロレタリア独裁を否定し、議会で多数の議席をもつことによって政権の獲得を目指す。また、社会民主主義ではしばしば語られる、マルクスによる資本主義の必然的崩壊、プロレタリアートの一党独裁という移行過程を否定している。社会民主主義者としては、ベルンシュタイン、ウェッブ夫妻、バーナード=ショウらがおり、影響を受けた政党としては、ドイツ社会民主党、イギリス労働党、フランス社会党がいる。
社会改良主義
社会民主主義では、資本主義を肯定し、その枠の中で社会制度改革を行い、資本主義の欠陥を補う方向で議論される。そのため、社会改良主義と呼ばれる。

ベルンシュタイン
ベルンシュタイン
ベルンシュタインはドイツ出身の社会民主党の指導者として活躍した。修正マルクス主義の理論家。貧しい鉄道機関紙の子として生まれ、16歳の頃から銀行や商社で働き、その中で資本主義に対する批判精神を培うこととなった。38歲の時は政府の弾压によりイギリス・ロンドンに亡命することになったが、そこで、これまで否定していた資本主義の発展と、議会制民主主義の発達の中で成立した労働立法などによる労働の生活環境の改善を目の当たりした。ベルンシュタインはこれに衝撃を受け、社会主義の新たな展開について考案した。48歳で『社会主義の諸前提と社会民主主義の任務』を出版、漸進的な社会改革と議会制度により、社会主義の実現をはかる社会民主主義を説いた。晩年にはエンゲルスやフェビアン社会主義者と交流し、マルクス主義の修正という立場をとった。
ベルンシュタインの思想
ベルンシュタインの『社会主義のための諸前提と社会民主主義の任務』の発表は、修正主義論争に火をつけたといわれる。マルクスの唯物史観を適用すれば、資本主義が最も高度に発逹したイギリスにおいて生産力と生産関係の矛盾が表面化し、資本主義から社会主義への移行(革命)が生じるはずであったが、イギリスの現状は、議会制民主主義の発展による労働立法、政府の諸政策による社会改革が漸進的に進められていた。このような社会的現実を受け、ベルンシュタインは暴力革命を否定し、漸進的に社会主義を実現する社会民主主義(修正社会主義)の思想を生み出した。
政治的立場は、第一次世界大戦後のワイマール共和国において、社会民主党から国会議員を務めたことにも表明されている。

シドニー=ウェッブ夫妻
シドニー・ウェッブ夫妻はイギリスの理論的指導者。夫のシドニー=ウェッブはロンドンに生まれ、ロンドン大学卒業後、官吏・大学教授などを歴任した後、代議士として活躍し、第二次世界大戦後の労働党内閣に2度の入閣をはたした。シドニー・ウェッブが31歳のときにフェビアン協会に加人し、2年後にベアトリスと知り合い、結婚する。ベアトリスは、富裕層の実業家の子どもとして生まれ、若い頃から社会問題に関心を寄せた。フェビアン協会では美貌と才能に評判であった。二人は結婚後、よきパートナーとして執筆活動や研究活動、実践をともにし、多数の出版物をなこした。主著は『労働運動組合史』である。夫婦の思想の特色は、議会による漸進的な社会改革の実現にあった。1932年にソ連を訪れ絶賛したため、大きな反響を及ぼした。
シドニー=ウェッブ夫妻の思想
ウェッブ夫妻の思想は、イギリスの伝統的な議会政治を基盤に培われた。フェビアン協会の理想とした漸進的な社会改革と社会主義の実現を構想するものであった。イギリスの伝統的な哲学や思想を下地にしている。哲学者ジョン・ロックに代表されるイギリス伝統の経験論、自由主義に基づく議会制民主主義、ベンサムやJ.S.ミルの功利主義、オーウェンの空想的社会主主義の影響を受けている。ウェッブ夫妻の思想は、労働党の内閣で社会政策において実現された。
フェビアン協会
フェビアン協会は1884年に結成されたイギリスの社会主義者の団体である。名称は持久戦を得意とし、カルタゴからローマを救った名将ファビウスに由来する。「忍耐強く時機到来を待ち、果敢に猛襲すべし」という標語を掲げて、議会制による漸進的な社会改革と社会主義の実現をめざした。研究、啓蒙、宣伝を活動スタイルとし、議会制を認めながら、資本主義の弊害を漸進的に解決しようとする立場は、フェビアン社会主義といわれた。1900年にイギリス労働党の結党に大きな役割を果たした。ウェッブ夫妻とバーナード=ショウはこの組織の指導者として活躍した。

バーナードショウ
バーナード=ショウ
バーナード=ショウは、イギリスのフェビアン社会主義者であり、劇作家、ジャーナリスト、小説家としても活躍した。主著『資本主義・社会主義・全体主義・共産主義』で資本主義、社会主義、全体主義、共産主義の様々な長所や短所が語られている。アイルランドのダブリンに生まれ、貧窮の中で育ったため、社会への関心、特にマルクスに傾倒することになる。28歳のころ、フェビアン協会設立に参加した。性格は機知や皮肉に富み、警句に満ちた作品を多く夜に出した。第一次世界大戦後は反戦論を唱え、1925年にノーベル文学賞を受賞した。バーナード=ショウは、作品の中で貧困や労働問題、女性労働者の低賃金や売春などの現実を取り上げた。作品の多くはフェビアン協会の思想が反映され、漸進的な社会改革の必要性を風刺的に表現した。マルクスが説いた暴力革命や資本主義箱の必然的没落を否定する一方で、イギリスの社会的現実を鋭く見据えた文学的表現の数々は、貧困の中で喘ぐイギリス国民に大きな影響を与えた。なお、ソヴィエト体制を高く評価したことは、社会民主主義をめざすフェビアン協会の混乱と分裂の要因の1つになったと言われる。革命が独裁を解決することはなく、それは独裁の担い手を変更するにすぎないと述べた。暴力革命を否定する彼の思想を表現している。

コメント(β版)
異常すぎる正義
「適正,公平な社会のためには、虚偽(詐害)は到底必要である」と判決を受けて敗訴しました。
どうやって生きれば良いですか
私は、虚偽事由で侮辱されて提訴され、敗訴し、様々なものを失いました。
これを提訴したところ、「適正,公平な裁判のためには、裁判では虚偽は必要である」として敗訴しました。(本人訴訟)
弁護士会と日弁連は、当弁護士に対し、「噓をつくことは正当な弁護士行為」と議決して懲戒処分せずに、直後に当弁護士を会長・日弁連役職に就任させており、原告が提訴した時には、「当行為を処分しないからといって、原告(国民)に損害を与えていない」と主張しては、再び争いました。
裁判官たちは、権利の濫用を許し、当理由で原告敗訴としました。
国家賠償訴訟(福井地方裁判所.平成24年ワ第159号)を提起したところ、 国は「争う」とし、「適正,公平な裁判のためには、裁判では虚偽は到底必要である」と判決して、原告敗訴としました。
裁判官に深々と頭を下げて喜ぶ国家公務員の方々の姿がありました。
(控訴 名古屋高等裁判所.金沢支部.平成24年(ネ)第267号で敗訴確定)
その後に刑事告発したところ、詐欺罪として受理されました。(時効で不起訴)
近年、再審請求しました。
再審請求では当然に憲法違反を訴えたのですが、再び「憲法違反の記載がない」の決定を受けました。(第一小法廷)(日弁連経歴者所属)
絶望と恐怖があるのみです。
日本は、法による支配(人権擁護)していますか?
さて近年、元裁判官の樋口英明氏は、過去の立派な行動(?)を講演し、ドキュメンタリー映画をも作成したと聞きましたが、 当事件において、詐欺加害者に加担するかのように、「適正,公平な裁判のためには、裁判では虚偽は到底必要である」と法を無視して言い渡したのは、樋口英明 です。
あなたは、詐欺被害で苦しむ人々に対して、このような卑劣な判決を言い渡して来たのですか?
この樋口英明を「正義の人」扱いするのは、妥当ですか。
この判決と原発訴訟の判決の(人間)関係を知っていますか。
この判決の後に原発訴訟の判決をしましたが、そこには共通する人物がいました。
定年後は、承知の通り、この原発判決を執筆等し名声を得るに至っています。
樋口英明は、当初よりこの定年後の構想を描いており、原発訴訟団の弁護士たちには、あとくされなく勝訴する(させる)
ことを望んでいたと思われます。
しかし、その前に目ざわりともいうべき国家賠償訴訟(福井地方裁判所.平成24年ワ第159号)が提起されたのです。
その原審の訴訟詐欺の被告とは、弁護士のTとM等であり、一方の原発訴訟の訴状を書いた弁護士もその弁護士T等だったからです。
定年後を夢みる樋口英明は、当然「虚偽事実を主張して裁判所をだまし、本来ありうべからざる内容の確定判決を取得した」と批難すべきところ、逆に「適正,公平な裁判のためには、裁判では虚偽は到底必要である」と ありうべからざる判決を言い渡したのです。
それでも現在、樋口英明は国民を欺いて 立派な人間として活動しています。