トルコ大国民議会|アンカラで樹立された新政権議会

トルコ大国民議会

トルコ大国民議会は、1920年にアンカラで開設されたトルコの国民代表機関であり、第一次世界大戦後に崩壊しつつあったオスマン帝国体制に代わって「国民の主権」を掲げた議会である。イスタンブルに置かれていた旧議会が連合国によって閉鎖されると、ナショナリズム運動を率いたムスタファ=ケマルらはアンカラに新議会を召集し、トルコ独立戦争を指導するとともに共和国建設の中心機関となった。この議会は、スルタン制の廃止とトルコ革命の遂行を通じて、近代トルコ国家の基礎を形作った政治機関である。

成立の背景

第一次世界大戦で敗北したオスマン帝国は、1920年のセーヴル条約によって領土の分割と厳しい制限を受けることになり、帝国の存続はほとんど不可能となった。イスタンブルのスルタン政府と議会は連合国軍の監視下に置かれ、民族自決を求めるアナトリアの人々の期待に応えることができなかった。この状況のもとで、アナトリア各地の抵抗運動を束ねていたケマル=アタテュルク(ムスタファ=ケマル)は、国民運動の正統な代表機関としてトルコ大国民議会をアンカラに創設する方針を固めたのである。

アンカラでの開会

トルコ大国民議会は1920年4月23日にアンカラで開会した。この日は後にトルコで「国民主権と子どもの日」とされ、共和国の象徴的記念日となった。議員は、旧イスタンブル議会の議員でアンカラへ合流した者と、アナトリア各地で選出された代表から構成され、帝国議会ではなく「大国民議会」と名乗ることで、主権がスルタンではなく国民に属することを強調した。議会は非常時の機関として立法権と行政権を併せ持ち、アンカラ政府を通じて独自の内政・外交を展開したのである。

トルコ独立戦争の指導

トルコ大国民議会は、対ギリシア戦を中心とするトルコ独立戦争の最高指導機関であった。議会は侵略に対抗するための軍制改革や徴兵、戦費調達を決定し、アンカラ政府の軍事行動を追認した。とくに侵入ギリシア軍との戦いにおける勝利は、議会と国民運動の正統性を高め、地方勢力を統合する契機となった。また、ソヴィエト=ロシアとの協定や他国との交渉も議会の名で行われ、外交面でも「国民国家トルコ」の代表としてふるまったのである。

スルタン制廃止と共和国成立

独立戦争が優勢になると、トルコ大国民議会はオスマン体制の根本的な解体へと踏み出した。1922年11月、議会はスルタン制廃止を決議し、イスタンブルのスルタン政府を公式に否定した。この決定はオスマン帝国滅亡を意味し、新国家樹立への道を開いた。続いて1923年10月、議会はトルコ共和国の成立を宣言し、アンカラを首都と定めた。同時にケマル=アタテュルクが共和国初代大統領に選出され、議会は元首を選出する機関としても機能することになった。

ローザンヌ条約と国際的承認

トルコ共和国の国際的地位は、1923年に締結されたローザンヌ条約によって確立した。この講和条約の交渉団もトルコ大国民議会によって任命され、講和条件の最終承認も議会の権限とされた。ローザンヌ条約は、セーヴル条約を破棄し、アナトリアとトラキアの大部分に対するトルコの主権を国際的に確認したものであり、議会外交の成功例として評価される。この結果、トルコ共和国は独立国家として列強に承認され、議会制国家としての位置づけを強めたのである。

共和国期における構成と権限

共和国成立後もトルコ大国民議会は一院制議会として存続し、憲法改正、法律制定、予算承認など立法機関としての中心的役割を担った。議員は選挙によって選出されるが、初期にはケマル=アタテュルクが率いる人民共和党が支配的であり、事実上の一党支配体制が続いた。議会は政府の信任・不信任を通じて行政を統制すると同時に、大統領の選出を通じて政権構造を形成した。やがて多党制が導入されると、議会は政党間競争の舞台として機能し、トルコ政治の中心となっていった。

選挙制度と代表原理

トルコ大国民議会の選挙制度は時代とともに変化したが、初期から「国民主権」の原理が強調されていた。導入当初は男性中心の普通選挙であったが、1930年代には女性にも選挙権・被選挙権が認められ、議会は性別を超えた国民代表機関へと近代化された。選挙は比例代表制や多数代表制など制度変更を重ねつつ、アナトリア全土から代議士を選出し、地方社会の利害を中央政治へ反映させる仕組みを整えていったのである。

イスラーム世界と議会主義への影響

トルコ大国民議会の成立とトルコ共和国の樹立は、イスラーム世界における議会主義の先駆例として大きな影響を与えた。スルタン=カリフ制を廃し、世俗的な国民国家が議会を通じて統治するというモデルは、他のイスラーム諸国の改革派やナショナリストにとって重要な参照点となった。とくにトルコ革命とイスラーム諸国の動向を通じて、立憲制や議会政治への関心が高まり、アジアや中東の国民運動にも影響が波及した。このように、トルコ大国民議会はトルコ国内だけでなく、世界史的にも近代議会制と民族自決を体現する象徴的機関であると位置づけられる。