国民政府(中国)|中国統一を目指す国民政権

国民政府(中国)

国民政府(中国)は、1925年に広州で成立し、1920年代後半から40年代にかけて中国大陸を統治した中華民国の政府機構である。中国国民党が一党支配体制のもとで国家建設と軍事行動を進め、北伐による中国の名目上の統一、抗日戦争、国共内戦を指導した政権として位置づけられる。しばしば南京国民政府と呼ばれ、中国近代史の政治・外交・社会の展開を理解するうえで不可欠な存在である。ここでいう国民政府(中国)は、北京に拠った軍閥政府と区別して用いられる概念である。

成立の背景

清朝崩壊後、辛亥革命によって成立した中華民国は、各地の軍閥が割拠する不安定な政治状況に陥っていた。臨時大総統となった孫文の革命政権は短命に終わり、その後の北京政府は列強の影響を強く受けた。第一次世界大戦後も中国の主権回復は進まず、パリ講和会議やワシントン体制のもとで、列強による半植民地支配構造が温存された。このような情勢の下で、民族独立と国家統一を掲げる新しい革命政府の構想が育まれ、これが国民政府(中国)誕生の土台となった。

広州国民政府の成立

1923年以降、孫文はソ連の援助を受けて、中国国民党の組織を再編し、中国共産党との連携(第一次国共合作)を進めた。1925年、孫文の死の直後に広州で国民党政権としての国民政府(中国)が樹立され、党が国家を指導する「党国体制」が制度化された。この広州国民政府は、国民革命軍を編成して北伐準備を進めるとともに、労働運動や農民運動を支援し、軍閥打倒と帝国主義排除を掲げる革命政府として国内外の注目を集めた。

南京国民政府と中国統一

1926年に開始された北伐は、長江流域の軍閥勢力を次々と破り、国民党勢力の北進を進展させた。その過程で、国民党内の右派と左派、国民党と中国共産党の対立が激化し、1927年には上海での共産党勢力弾圧をきっかけに第一次国共合作が崩壊した。同年、蒋介石は南京に新たな国民政府(中国)を樹立し、北京政府と対立しながら全国統一をめざした。1928年には北平の統一を経て、名目上は全国統一を達成し、この南京国民政府期は「南京十年」と呼ばれて近代国家建設が本格化した。

抗日戦争期の国民政府

1930年代に入ると、日本は満州事変を起こして華北への侵略を拡大し、国民政府(中国)は対日外交と国内統一のはざまで苦しい対応を迫られた。蒋介石政権は当初「安内攘外」を掲げて共産党討伐を優先したが、西安事件を契機に第2次国共合作が成立し、対日民族統一戦線が形成された。1937年に全面的な日中戦争が勃発すると、政府は首都南京を失い、重慶へ遷都して長期抗戦を指導した。重慶の国民政府(中国)は、援蒋ルートによる国際援助を受けつつ、対日戦争と後方統治の双方に取り組み、厳しい戦時体制のもとで国家の存続を図った。

国共内戦と台湾への移転

1945年の対日勝利後も、中国大陸では国民党政権と中国共産党の対立が解消されず、やがて全面的な内戦に発展した。戦時中の汚職やインフレ、統治能力の低下によって国民政府(中国)への民衆の支持は揺らぎ、農村を基盤とする共産党勢力が急速に拡大した。内戦の帰趨が決すると、1949年までに国民政府は大陸の支配を失い、政権中枢は台湾へ移転した。以後、台湾の中華民国政府は自らを中国全体の正統政府と主張しつつ、冷戦構造の中で独自の政治体制と経済発展を進めることになる。

国民政府の統治体制と政策

南京の国民政府(中国)は、形式上は五権憲法を掲げる中華民国憲政体制を標榜しつつ、実際には中国国民党による一党支配体制をとった。中央集権的な官僚機構と軍事力を背景に、軍閥の整理・地方権力の吸収を進め、法制度や教育制度、金融制度の近代化に取り組んだ一方で、政治的自由や地方自治は大きく制限された。

政治制度と一党独裁

政治面では、国民大会や立法院などの憲政機関が整備されたものの、実権は国民党指導部と軍事指導者に集中していた。蒋介石を中心とする権威主義的リーダーシップのもとで、反対派や共産主義者への弾圧、治安維持法制の強化、秘密警察組織の活用などが進められた。これにより、政権は一定の安定を確保したが、民衆からの信頼や政治参加の拡大という点では限界を抱えていた。

  • 国民党による官僚・軍部人事の独占
  • 反対勢力・共産主義者への弾圧と取締り
  • 中央政府への権限集中と地方自治の制約

経済建設と社会政策

経済面では、南京国民政府は関税自主権の回復や通貨制度の改革、鉄道・道路・港湾などインフラ整備を通じて近代的な国民経済の形成をめざした。都市部では工業化や金融資本の発展が進んだが、農村では地租負担や軍費負担が重く、農民の不満は解消されなかった。教育や衛生などの分野でも一定の近代化政策が進められたものの、その恩恵は主として都市中間層に集中し、社会的格差の是正には至らなかった。

  • 関税・通貨制度の整理による財政基盤の強化
  • 鉄道・道路建設を中心としたインフラ整備
  • 学校教育の拡充と国民教育の推進
  • 農村改革の停滞と農民層の不満の蓄積

歴史的評価と意義

国民政府(中国)は、軍閥割拠と列強支配に分断された中国を名目上とはいえ統一し、近代国家建設と対日戦争を主導したという点で、一定の歴史的評価を受けている。一方で、一党独裁体制と汚職、農村政策の失敗、社会的不公正は、最終的に国共内戦の敗北と大陸支配の喪失を招いた要因とされる。その後の中華人民共和国政権との対比においても、国民政府期の経験は、中国近代史における国家建設の試行錯誤を示す重要な事例であり、現在もなお政治体制や国家のあり方を考える上で参照され続けている。