均田制|戸籍基準で土地を配分

均田制

均田制は、国家が公地を把握し、戸籍を基礎に成年男子や女子へ標準面積の田地を割り当て、死亡や一定年齢で返還させることで耕地と租税・兵役の基盤を安定化させる制度である。起源は北方遊牧勢力の国家形成が進んだ中国北朝期に求められ、とくに北魏で整備された分地原理が、のちの隋・唐の成熟した体系へと受け継がれた。耕作主体の不足を補い、公地の荒廃を防ぎ、豪族の兼併を抑制して均衡ある田土秩序を実現する狙いをもった。

起源と展開の背景

北朝の建国過程で、遊牧的首長層と漢人官僚層が統合されると、税・役・兵の根拠となる戸籍と田面積を安定化する必要が生じた。とりわけ北魏は、征服王朝としての統治を定着させるため、都城整備や制度改革と歩調を合わせて分地・戸調を整序した。首都の移転と漢文化の受容を主導した孝文帝の路線は、被支配層の生活単位に国家が直接アクセスする前提を用意し、均等配分を掲げる分地制の実施環境を整えた。この背景には、遊牧系貴族の特権を抑えつつ農耕地帯の生産力を持続させる政治的要請があった。

制度の基本構造

  • 戸籍に登録した丁を基準に、標準面積の田地を給付する。
  • 給付地は、死亡・老齢・離脱時に原則として国家へ返還する。
  • 家産的に保持しうる小規模の永続地(永業田)と、耕作主体に応じて循環させる口分田を併置する。
  • 新規墾田や未墾地の利用を奨励し、灌漑・区画・界標を整えて生産効率を高める。

この二層構造により、家の再生産を支える安定部分と、国家が調整可能な流動部分が組み合わされ、田土の偏在を防ぎつつ、租税・徭役の割当てが標準化された。

統治目的と連動装置

均等配分は単なる社会政策ではなく、統治テクノロジーである。第一に租税では、収穫予測が立つ面積基準への課税で歳入が平準化する。第二に兵役では、耕作者=兵士の名寄せが容易になり、戦時・治安出動の動員単位を確立できる。第三に労役では、道路・城壁・灌漑など公共事業への投入計画が作成しやすい。これを支えるのが戸籍・計帳・地籍台帳であり、戸主・丁口・等級を定式化して徴収と免除を精密化した。

隋・唐における成熟

は全国的な戸籍整備と地籍編成を進め、周辺の開発地にも配田を拡張した。続くでは、租庸調の賦課体系と結びつき、均等な田面積を前提として布や労役を標準量で負担させる仕組みが整う。兵制面では、一定の自営農民に軍事義務を課す府兵制が機能し、農耕と軍役を両立させる社会編成が可能となった。均田・租税・兵制が「面積—戸籍—負担」の三位一体で循環する点に、唐国家の整合的なデザインが見て取れる。

動揺と変容—安史の乱以後

しかし、耕作者の流亡・戸籍の形骸化・有力者の土地兼併が進むと、返還原則は機能不全に陥る。安史の乱を契機に辺境防衛と財政再建が急務となり、実際に保有・経営できる資力を基準に課税する新機軸が台頭した。唐後期に導入された両税法は、均田制の前提である「標準面積の一律給付」から離脱し、資産・生産実態に即した課税へと転じる制度的転回を画した。これにより、均田的な配田・返還の循環は急速に縮退し、地域社会の土地関係は多様化・私有化へと傾斜した。

社会経済への影響

均等配分は豪族の土地集中を抑え、農村の小経営を広範に存立させた点で、社会の水平的安定に寄与した。他方、返還原則は移動の自由度を制約し、耕地と戸を固定化する作用をもった。地方官は配田・回収・再配分の事務に追われるが、標準化された帳簿運用は行政の可視性を高め、租税の恣意や横流しを抑止した。人口動態の変化や自然災害に直面しても、再配分という調整弁を通じて耕地稼働率を回復できたことは、制度の強みであった。

北魏から隋唐への知的継承

北魏で培われた土地・戸籍の統御技術は、制度理念として隋唐に継承された。とくに都城政策と文化政策を結合した孝文帝の改革路線、対外軍事の基盤を整えた太武帝期の国家形成経験、さらには遊牧・農耕複合社会を統御するための漢化政策の蓄積は、分地原理の高度化を支えた。北朝・南朝の併存と抗争、東晋や北朝諸政権の実務知が総合され、「田を国が把握し、戸に応じて循環させる」という中華王朝型アーキテクチャが完成したのである。

用語の要点

  • 口分田:耕作主体に応じて給付され、死亡・老齢などで返還する循環的田地。
  • 永業田:家産的に保持できる小規模の恒常的田地で、家の再生産を下支えする。
  • 戸籍・計帳:戸主・丁口・田面積を把握して租税・兵役・徭役を割り当てる行政台帳。
  • 両税法:唐後期に実施された資産・生産実態基準の課税法で、均田体系の退潮を画する。

以上のように、均田制は分地・戸籍・賦役・兵制を束ねる統治技術として成立し、北朝期の政治的要請を背景に成熟した。隋・唐での制度化は、国家の財政・軍事・行政に秩序を与えたが、人口移動や社会経済の流動化に直面すると均質配分の前提が崩れ、やがて実態本位の課税へと変容した。その歴史過程は、土地と人を「見える化」して支配を可能にする王朝国家の思考法を示し、同時にその限界をも照射している。