青島|日独戦争の舞台となる港湾都市

青島

青島は、中国山東省南部、山東半島の南岸に位置する港湾都市である。黄海に面した天然の良港を背景に、近代以降、東アジアの軍事・経済の拠点として発展した。とくに19世紀末にドイツ帝国の租借地となって以降、西洋式都市計画が導入され、近代的な港湾施設や鉄道網が整備されたことで、青島列強による対中国進出を象徴する都市となった。

地理的環境と都市の発展

青島は黄海に突き出した岬と入り組んだ湾をもち、天然の良港として古くから知られた。近代になると、港を中心に埠頭・倉庫・造船施設が整備され、周辺にはヨーロッパ風の街路と公共建築が建設された。丘陵地帯には住宅地が造成され、海岸線には避暑地や別荘地も形成されるなど、中国のなかでも特異な景観をもつ都市空間が作り出された。

ドイツ租借地としての青島

19世紀末、三国干渉以後に対中進出を強めたドイツ帝国は、1897年の膠州湾事件を契機に山東半島南部の膠州湾一帯を租借し、拠点都市として青島を整備した。ここには東アジア艦隊の根拠地が置かれ、軍港・要塞・鉄道が一体となった軍事拠点が形成された。同時に、教会・学校・病院・上下水道といったインフラも整えられ、青島列強支配のもとで「模範的植民都市」と称されるほどの近代都市に変貌した。

  • 軍事拠点としての要塞化と海軍基地の設置
  • 膠済鉄道の建設による内陸部との結合
  • ビール醸造などドイツ系企業による産業経営

第一次世界大戦と青島攻囲戦

1914年に第一次世界大戦が勃発すると、日英同盟を結んでいた日本はドイツ帝国に宣戦布告し、日本の第一次世界大戦への参戦の一環として青島攻略に乗り出した。日本軍はイギリス軍とともに膠州湾一帯を包囲し、陸海から要塞を砲撃して守備隊との攻防戦を展開した。約2か月に及ぶ攻囲戦の末、1914年11月にドイツ守備隊が降伏し、青島は日本軍の占領下に入った。この戦いは、日本が欧州大戦に関与した象徴的な戦場として位置づけられる。

日本による占領と統治

ドイツ降伏後、青島と山東の鉄道・鉱山権益は日本軍の管理下に置かれ、日本政府は軍政につづいて民政を実施した。日本人企業は港湾運送・鉄道経営・商工業に進出し、日本人居留民も増加した。こうして青島は、日本の対華経済進出の拠点として機能し、同時期に日本が委任統治した南洋諸島と並んで、日本の海外拠点網の一角を占めることになった。この支配は、中国側に強い反発を引き起こし、後の対日感情にも大きな影響を与えた。

ヴェルサイユ条約と山東問題

第一次世界大戦後の講和会議であるヴェルサイユ条約では、旧ドイツ権益であった青島および山東の鉄道・鉱山利権を中国ではなく日本に継承させる決定がなされた。これに対し、中国国内では強い反発が巻き起こり、1919年の五・四運動へと発展した。学生・知識人・商人らは、山東問題の解決と民族的権利の回復を要求し、対日製品のボイコットなどの抗議行動を展開した。この過程で、中国の近代的民族運動が大きく発展し、青島は国際政治と中国ナショナリズムの焦点となった。

山東還付とその後の青島

山東問題は、1921〜22年のワシントン会議で再び国際的に論議され、日本は山東半島の主権を中国へ返還する方針を受け入れた。1922年、青島の主権は形式的に中国へ還付されたが、日本はなお一定の経済利権を保持し、港湾都市としての役割は継続した。その後も青島は、外国資本が集まる開港都市として発展を続け、東アジアの国際関係、とりわけ九カ国条約体制下の対中政策を理解するうえで欠かせない地域となっている。